さようなら、清さん。

 最後にお電話をいただいたのは、4月のある日でした。

 私は思いがけない転職をしており、ゆっくりお話しすることもできず、何度かいただいたテープやお手紙で無邪気に安心をしていました。

 勘三郎さんが亡くなり、団十郎さんが亡くなり。
 清太夫さんは、嘆き、落ち込み、歌舞伎の未来を案じていました。

 

 9月、流れてきた訃報に目を疑い、多忙を理由に最近はお会いしていなかったこと、何よりも「もう一度舞台へ」の願いを叶えることができなかったことを、悔いました。

 

 ひとり暮らしを始めるほどに回復していたのに、なぜ。
 今も、詳しい情報は無いままです。

 ただ容赦なく、「清さんはこの世にいない」と知らされただけでした。

 今日は、東京でお別れの会がありました。

 行きたい、行って生前のフィルムを見て、音源を聴き、清太夫ファンだった人達とお話しをして偲びたい。

 その想いは山々でしたが、諸事情が許さず、いただいた「壷坂霊験記」のテープを聴きながら、歌舞伎の舞台で輝いていた清さんの姿を思い出していました。

 

 「先代萩」の「御殿」。

 今も目を閉じれば、鴈治郎の燃えるような着物の裾がチラつき、右側から清さんの渾身の嘆きが聞こえる。

 

 「寺子屋」「野崎村」「吃又」「引窓」……

 そして、勘三郎との「俊寛」。

 

 懐かしい舞台の数々。

 飲みに行っても、倒れた後の病院でも、施設でも。
 口を開けば、語り出す。

 一緒に過ごした、浄瑠璃愛のぎっしり詰まった時間。

 「70代なんてひよっこ、文楽で八十超えてやってる人なんか化けもんなんだから、まだまだがんばらなくっちゃ」

 

 うまくなりたい、うまくなりたい、もっと、もっと。
 最後までそう願っていた、尊敬すべき人でした。

 

 きっと、あの世で

 

「『研辰』やりたいねぇ、ちょっと清さん来てよ」

 と、勘三郎さんが呼んだんだと思っています。

 

 私は南座でアルバイトをしていたこともあり、24日間ほぼ毎日彼の舞台を聞き続けたことがありました。一日としてダレることのない、魂の芸でした。

 

 彼の声や語りのファンであり、職業人としての尊敬する人であり、1人の人間としても大好きな人でした。

 舞台では大きく見えますが、小柄で愛らしい人でした。

 左右違う靴を履いて、歌舞伎座から出てきた日を思い出します。
 浄瑠璃のことで頭がいっぱいの、純粋な人でした。

 もう会うことはできませんが、彼の芸は映像や音源の中に生きています。

 

さようなら。

 そして、これからも、また。

 ……生きている限り、何度でも清さんの芸と、出会い直すことと思います。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

まだそこに。

 ロック好きの夫に

 

「あなたがキヨシローが死んで悲しかったのと同じぐらい、
 私は勘三郎、いや私にとっては“勘九郎”が死んだのが悲しい」

 と話したあの朝から、まだ全く信じられないまま日にちだけが過ぎていきます。

 あのムッチリした腰つきの娘道成寺に惚れ込んで、
 日本舞踊を習い、こっそり鈴太鼓を買って練習していたものです。

 最後の舞台は、たまたま東京にいた時に知人が「行けなくなったから空いてたら行って!」と頼まれ、奇跡的に手に入れた歌舞伎座のさよなら公演でした。

 お得意の通人で、舞台の上の役者も観客も存分に笑わせ、病み上がりの助六(団十郎)をいたわり、「新しい歌舞伎座でお会いしましょう、何人かはいなくなってるかもしれませんけどね」とうふふと笑い、4階席までずーーーーっと見渡して、降る拍手と大向こうを浴び、ふわふわとした足取りで揚げ幕の中に消えていきました。

 まだまだ、飽きるほど見られると思っていた。

 「中村屋も年取ったわねぇ」なんて言いながら、こっちもイヤな歌舞伎ババァになって、老け役に回った勘三郎を眺めるはずだった。

 清太夫さんからは、手紙と中村屋と一緒に演じた「壺坂霊験記」のテープが届きました。

 「思い出せばいろいろと中村屋の芝居を演らせて頂きました。
  小生の一生の役者でもあります」

 もう観られない。

 

 「芸が枯れる」「味が出る」のを観る前に、満開の花形役者、千両役者のままで逝ってしまった。

 未だにその理不尽さに、ぼんやりしているこの頃です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ある日の電車寄席。

立川志らくの「全身落語家読本」をお供に、往復11時間の列車の旅に。

10年前の本で、今の彼がこの本をどう思ってるかは不明。
こっちは読みながらキーカリカリとさせられる。
若さと傲慢さがありったけ噴出している。


映画好きで落語好き。


本来ならガッチリ握手したいところだが、好きな噺家やネタを否定される度に手を引っ込めたくなる。

特に本文中で「緊張と緩和」を何度も取り上げ、現代人にわかりやすい「爆笑落語」を目指しているという割に、桂枝雀」に一切触れない点が少々気になる上方落語は聞かないと強がっているけれども、意識し過ぎるが故に無視しているのだろうかなんて邪推してしまう。

でも、彼が十代目の金原亭馬生師匠、このサイトでいうところの「お兄ちゃん」を愛していると知って、また手を差し伸べたくなる。

いいよねぇ、お兄ちゃん。

馬生師匠の最後の高座を見て、弟子になろうと決意した十日後に亡くなってしまったというエピソードに、気持ちが入っている。これは書いてしまうと台無しなので、この後の談志の弟子になった経緯も含めて興味のある方はぜひ一読を。


他にも、文楽師匠や志ん生師匠をうまく褒めるのでつい聴きたくなる。

結局、この本を読むのを途中で放り出し、iPodに放り込んでる音源を探しながら「電車内寄席」を始めることに。


まず、ここまで自画自賛を繰り広げた以上はご本人・立川志らくの一席から。
探すとPodcastから取り込んだ映像つきの「らくだ」を発見。


声は師匠の談志によく似ている。

長丁場の割に、笑い声が少ないのは何でだろう。
半次がグラグラ体をゆすって脅かすところが笑いどころで、思い出せるのはここだけだ。
最初の一席にしては大ネタ過ぎたかもしれない。


疲れてしまって、他に誰かいないかなと探すと、志ん五師匠の「付き馬」を見つけた。


ぐいぐい押してくる、調子のいいオトコ。
暑苦しさといい加減さに、観客として巻き込まれる。
一番の聞かせどころは棺桶屋を騙して、若い衆を預けてトンチンカンな会話を繰り広げるところ。この話はそこまでで笑わせておかないと、持たない。

散々振り回された後の、「ずぬけおおいちばんこばんがた」の発音がやたらおかしくて、ゲラゲラ。

最後に、解説のアナウンサーがぽつりとつぶやいた「もっと聴きたかったですね」に涙腺をやられる。

亡くなったのを知ったのは、最近のこと。

生まれて初めて寄席に行った日、トリが急遽交代で出てきた古今亭志ん五師匠だった。
大きな目にパカパカ動く眉で「大山参り」。


江戸のバカ男たちのてんやわんやに引き込まれ、日常を忘れる。
「生の落語って面白いなぁ」「寄席って面白いなぁ」と思わせてもらったからこそ、今も聴き続けている。
そして、残った音源で笑わせてもらっている。
……ありがたや。


少ししんみりしたので、次は誰に出てきてもらおうかなとiPodを探る。そうだ、本に「ジャズ好きがハマる噺家」として紹介されてた、八代目三笑亭可楽師匠を聞いてみよう。

「二番煎じ」「反魂香」と続けて聞く。
ぷしゅーぷしゅーと息が漏れて、大丈夫なのか心配になる。
そのうち、語尾がふにゃふにゃと崩れるところが、心地よくなってくる。

特に「反魂香」がカワイイ。
一人でくちゃくちゃとヨメの思い出話をしながら、その奥で恋女房に再会できるウキウキ感が高まっていくのがわかる

「そちゃ女房、お梅じゃねえか……とくらぁ」

会わせてあげたかったなぁ。


疲れてきたけれど、もう一つ。
「全身落語家読本」の中で唸った、「桂文楽はフレーズの噺家である」という文章。中でも「鰻の幇間」の1フレーズは「あの客大事にしとこ」であると読んで、聴きたくてたまらなくなる。

客と鰻屋に行き、2階で一人残されてつぶやく幇間。
これからあの客とどんないいことがあるか……という妄想を展開しながら、プロの本音をぽろんとつぶやく。

「あの客、大事にしとこ。あの客を俺がしくじるようじゃぁ、腕が無いね」

ここの本音が真に迫っているからこそ、客に裏切られてからのショックに哀愁が漂う。そして、聴き手はこの後の悪態に、ずーっと笑わされまくる。


さて、トリは馬生兄さんにしたかったのだが、好き好きいう割に一つも入ってないことが発覚。ごめん、兄さん…


そこで、志らく本でも「印象派の落語」と評価されていた志ん生師匠にご登場をお願いする。

なんとなく、「鮑のし」。

ふにゃふにゃとしたダンナと、シャキシャキした嫁さんの切り替えが鮮やかだ。

とにかくラブリー。
ああ、可愛い。

落語のくだらなさと噺家の多彩さを確認した幸福な3時間。



ここまでの文章をiPhone×キーボードで書いてメールで送っておいた物を、掲載しようとネットを開いて「ああ、ダメだったか」とつぶやいてしまった。

立川談志が亡くなった。

私としては2009年末に見た時に「すでにヤバイ」と思っていたので、あの後に高座を務めるほど復活したことの方が驚きだった。

凄いなと思ったのが、弟子には一切知らせずに葬儀も終わらせていたことだった。
我こそが談志DNAを受け継ぐと「全身落語家読本」で吠えていた立川志らくのTwitterには、ポツリと一言が置かれていた。


「淋しい。」


私はまだまだ聴き足りないし、聴いてもわからないかもしれないだろうけれど、個性の強い分だけ愛された人なのだろう。

天国の寄席は、ますますにぎやかになっていく。

残された名人達の音源で、年末の天上寄席を想像して番組を組むのも楽しいけれど、ちゃんと地上にいる人の高座もちゃんと見ておこうと改めて思った。

談志師匠の「芝浜」、一度でいいから生で聴きたかったな。


| | コメント (3) | トラックバック (0)

「枝雀カムバック2」 9/2夜・サンケイホールブリーゼ

 「福の神」 

 「枝雀カムバック」が終わって間もなく、「2」の日程が発表された。
 商魂たくましいなと思ったが、1回目の幸福感を思いだしてチケットを買ってしまった。

 選んだのは「地獄八景亡者戯」の日。
 彼の得意ネタながら、長いために未見だった。
 どうせならスクリーンで見たい。

 会場に入ると、5ヶ月前のちょっと辛い日がフラッシュバックする。
 でも、今日も確実に枝雀師匠は笑わせてくれる。
 そんな安心感で座席に1人、座っていた。

 いつもは公開されている演目以外の「お楽しみ」が最後に流されるのだが、今日は「地獄八景~が長いので先にやります」と、「雨乞い源兵衛」が始まった。

 この日は台風12号の襲来日、雨を呼びすぎた源兵衛と枝雀師匠が重なって、司会のアナウンサーが「師匠、やりすぎちゃいますか」と笑いを取る。

 「地獄八景亡者戯」は、いわゆる道行き物。
 死んだご隠居さんと辰っぁんが地獄への道を観光気分で歩いて行く。
 米朝師匠バージョンを知らないへっぽこ落語聴きなので、アドリブ混じりで少し崩れた枝雀師匠の芸と、笑い続ける会場と客席の楽しさにただ身を任せる。

 

 いよいよ閻魔様が登場したシーン。
 「閻魔はんの怖い顔っちゅうのを、見てもらいます」と散々怖い顔やでと煽って、開いた扇子で顔を隠して下を向く。

 客席は「どんな怖い顔しはんねやろ」と妙に緊張する。

 ここの間が長い。

 じわじわと扇子と頭を持ち上げて、正面向いたところで扇子を下ろすと、そこにはハゲ頭にピカピカの笑顔が満開に咲いている。

 福々しい、拝みたくなるような、マンガみたいな枝雀師匠の笑顔。
 客は緊張を裏切られて、げらげら笑う。

 ああ、緊張と緩和

 これって落語の芸なのかと問われると悩むけれど、枝雀師匠の顔ならではの演出。
 あの笑顔、額に入れて飾っておきたい。
 夫婦円満・商売繁盛・子孫繁栄の福の神、えびす顔とはまさにこのこと。

 

 ありがたやの枝雀大明神、幸福感に満ちたまま話はラストの「山伏・医者・歯医者・軽業師」の4人が地獄の責め苦を交わして閻魔様を激怒させるパートに入ってくる。

 ここだけ、子どもの頃読んだ本で知っていた。

 すでに死者である人が、地獄でちょける(ふざける)噺をしている。
 時空がねじれたような、不思議な感覚がする。

 散々笑った後で客席に灯りがつくと、師匠がこの世にいないことに気づき、今日も寂しくなる。
 この上映会は、「師匠に死後の世界からおいでいただく」という気分がする。
 DVDも持っているのに、会いに出かけてしまう。
 今日も会えてよかった、楽しかった。

 そして観客たちは、台風の強い風が吹く現実世界へ帰って行く。

 ………

 この2日後、今年2度目の妊娠をしていることに気づいた。

 「地獄巡りのついでに、枝雀はんが連れてきてくれはったんかなぁ

 別の命だとはわかっていても、針の山を渡る軽業師の肩あたりにちょこんと乗っかって連れてきてもらったような気がしてならない。

 まさに私の福の神やわ、枝雀師匠、おおきに。

 パンフレットの10ページは、扇子の下から現れた満面の笑顔。
 お礼を伝える方法がないので、安産のお守りに飾っている。

 

S111014_070701

| | コメント (2) | トラックバック (0)

「枝雀カムバック」3/1昼・サンケイホールブリーゼ

   「命けずる人」


 桂枝雀をスクリーンで観る。

 そんなん、家にDVDあるやん。
 大型テレビあるやん。

 それでも出かけて行ったのは、擬似体験をしたかったからだ。
 枝雀はんを好きな人たちと、一緒にげらげら笑ってみたい。

 この日運悪く、私は人生でもワースト3に入る辛い事実を告げられた日だった。
 さすがの枝雀師匠でも、今の私を笑わせるのは無理ちゃうかな。
 楽しみにしていたチケットの価値が半減した気分で、出かけていった。

 会場の平均年齢は高い。「3日間昼夜ぜんぶ観る」という声もちらほら。
 私はシビアに「会場の割にスクリーンが小さいな」と思った。

 最初に「今日このごろ」というコーナーが流れる。
 デパートでのエピソードを、愛嬌たっぷりに語る枝雀師匠。
 映像の中の客に遅れて、現代の客が微笑む。

 画質も粗いし、単に大きなテレビを見せられているような感覚。
 これで結構な金(2500円)取るなぁ。

 

 ぼんやりとした不満を抱きながら、座っていた。

 一席目、「時うどん」。

 扇子を見失ってきょろきょろする枝雀師匠に、会場がきゃっきゃとうれしがる。
 放送もDVD化もされない「アクシデント」込みの貴重映像。

 師匠は照れながらもスクリーンと中と外の会場をあのへらへら笑顔で味方につけ、オーバーアクションで愛すべきアホを演じる。「ほれほれほれ」と顔周りでひらひらさせる手の動きが過剰になり、前の席の中年男性がつられて手を動かしていた。笑いのタイムラグはすでに無く、私も辛いうどん汁を涙目で「ブーーッ」と吐く姿に同情しつつもキャッキャと笑う。

 すごい

 生で観た柳家喬太郎の「時そば」に負けない熱量で、会場をどっかんどっかん言わせている。

 頭を下げる枝雀はんに拍手を送った後、ふと皆が我に帰る。

 ああ、映像だった。
 もういはらへんねんな。

 びゅっと心の中がさびしくなる。

 

 トークゲストは三遊亭円楽だった。
 あんな奔放にやれる枝雀をうらやましい、うらやましいと繰り返す。

 「本当は円楽を継ぎたくなかった」
 「楽太郎のままなら、ほらちょっとスマートで洒落物のイメージで軽くやれたじゃない」

 先代や圓生の物まねを入れながら、まさに軽快に話していく。

 最後に、司会が「枝雀師匠に質問したいことは?」と尋ねた。
 彼は、ぼろんと重い本音をこぼす。

 「どこに行きたかったんですか?」

 

 やってもやってもやっても満足しない。
 笑わせても笑わせてもなお笑わせたい。

 そう願った果てに、命を絶った人。


 二席目の「高津の富」。

 歌舞伎座の横長の舞台に、ぽつんと一人。

 アホちゃうか、師匠。
 歌舞伎座やで
 貧乏学生のころ、4階席から小さな揚巻に目を凝らした。
 傾斜のキツい、大きな劇場。

 その会場の端から端までを、笑わせたい。
 座布団から離れられないってのに。

 白い顔に、心配になるほどの汗。
 富くじを買った男の話、初見なので素直に話に入り込む。

 この日のハイライトはどこかと聞かれたら、「二番の五百両が当たる夢を見たオッサンの一人語り」と答える。

 主人公ともストーリーの軸とも関係無い、脇役のオッサンが妄想を爆走させる。宝くじがあたったらお気に入りの女郎を受け出して家を借りて、差し向かいで飲んで「ええあんばいになったなぁ、寝よか」って言うていやもう照れまんがなと詳細に語れば語るほど周りはドン引き。観客の私も少し後ずさりしたくなる。

 

五百両を当たったものと思いこんで夢をきゃぴきゃぴ語るこのオッさんのくじは、果たして当たるのか?

 「辰のぉーーはっぴゃくぅーーーごじゅうーーー」
 「七番かぁッーーー?」
 「いちばーん」

 ぐわーっと盛り上げて、ぺしゃんこに夢をぶっつぶす「緊張と緩和」理論の体現に観客もぷしゅーっと空気が抜けてだらしなく笑いつづける。

 もう何をしてもおかしい。

 腹いてぇと思いながら、私は師匠が心配になる。
 汗がすごい。目が笑ってない。

 

 今度は主人公がくじの結果を見にくる。

 人が引いた境内、ぽつんと一人。
 もう一度緊張感を作っていく。

 「一番が『子(ね)の千三百六十五番』……。ふーん」

 当たりに気づかない主人公にジレジレする観客たち。

 「子ぇの千三百六十五番……何や似てるような」

 「(張り出しを見て)あれが、『子の千三百六十五番』(くじを見て)これが『子の千三百六十五番』。あれ?(何度も見比べる)……あたたたたったったたたたたたたた

 たたーたたたーたた言いながら宿屋に転がり込んでサゲ。
 思わずスタオべしかけるほどの爆発力があった。

 理論だけで、人の心は動かせない。
 大熱演あっての「緊張と緩和」。

 枝雀師匠は、頭を下げ、ふらりふらりと帰っていった。
 あのまま舞台袖で倒れこんだのではないかと思うほどに、透き通っていた。

 命を削る、魂を削る、芸に身を捧げる

 言葉で書くとあまりにも雑だ。
 同じ芸人までもが「どこに行きたかったのか」と問いたくなるほどの、情熱。

 私は彼が、小心者だったんだろうなと考える。
 自分もそうだからだ。

 料金分、笑ってほしい。
 端っこの席でがっかりした人にも、きてよかったと思ってほしい。
 なんで歌舞伎座なんかで始めてしまったんやろ。
 広いわ、この会場、あかん、自信無い。

 首を伸ばせるだけ、手を伸ばせるだけ。
 顔も動くだけ、のばしたり縮めたり。

 笑いの余韻の中で、私は泣いてしまった。
 その熱意はスクリーンの向こうから、22年後でもちゃんと届いたからだ。

 人生で3番目ぐらいに辛い日なのに、げらげら。

 枝雀師匠、どこに行きたかったんだろう。
 客を笑わせても笑わせても行けない場所。

 私は勝手に、以前書いたとおり「ここ」に行きたかったんやろうなと思っている。


 ぐったりする観客の前に、別の日の枝雀はんが今度は元気いっぱいに出てくる。 
 三席目、「壷算」。

 こちらは追いかけてくる壷屋の困り顔がすべてだ。
 首をかしげる壷屋にうふふふふと笑いながら、会場は幸福感でぎっしり。

 好っきやわー枝雀はん
 お帰りなさい、今日はおおきに、また来てや。

 皆があの世の人に全力で拍手を送り、ほんわりした「ええ顔」で会場を出ていく。
 彼岸から笑わせに来た、そしてやってのけた。

 私もパンフレットをぎゅっと抱く。
 どうしようもなく悲しい日だったからこそ、
 今日、会えてよかった。

 ほんまにおおきに。

 

 ……最後に一つ、お願いをさせてください。

 あっちの世界に帰る時、その辺でふわふわ迷子になってるちっちゃな子どもを、連れて行ってやってほしいんです。私のお腹から、ふらっと出て行ってしまったみたいで。

 よく笑う、ええ子やと思います。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

Podcastで落語三昧


 年が明けて出張シーズンに入ったので、iPodにデータを移そうと久々にPodcastをチェック。

 おおおおお-
 タダで喬太郎師匠の「たいこ腹」がアップされてるじゃないですか!
 
 しかも志ん五師匠の「付き馬」まで!
 この噺好き~バカで好き~
 …ということで、早速ダウンロード。


◆お台場寄席
http://itunes.apple.com/jp/podcast/id348869911


 さらに探すと、これは気になってた襲名対決の動画がまるまる上がっている。 


『ふじ特撰落語会』第一シリーズ~やっぱり圓生は俺だ!!「円丈・鳳楽 二 人会」
http://itunes.apple.com/jp/podcast/id404701791

 おおーー鳳楽って人ちっとも知らないけど、「寝床」コレクターとしては嬉しいっ!
 
 そしてこの第2シリーズがこちら。

『ふじ特撰落語会』第二シリーズ~“進作落語”の巨匠対決!!「白鳥・談笑 二人会」
http://itunes.apple.com/jp/podcast/id410535109

 うっすら気になってて、今まで聴く機会の無かった2人なんで、これは動画だしホテルでダラダラしながら観ることに決定。

  

 《私信》

 かつて落語好きのオジさんに、落語を詰め込んだMP3プレイヤーを贈りましたが、ケチらずにiPodあげりゃよかったとちょっと後悔。パソコンでも観られるんで、若い衆にでも尋ねて何とか鑑賞してみてください~

 音だけでも良ければ、何とかしますー

| | コメント (1) | トラックバック (0)

正月から志ん生ラブ。


 BSの昭和なつかし亭、録画し忘れたので帰省先で慌てて録画。

 橘家圓蔵の「猫と金魚」、観覧の客が疲れ気味で滑りそうなところを力業でねじ伏せようと奮闘していた。そういや、コレ生で観たんだったなぁと思い出す。

 その後、志ん朝「元犬」~馬生「そば清」~志ん生「風呂敷」と奇跡の親子リレーに、食卓で繰り広げられる会話に半分耳を貸しながらもウットリ。


 志ん朝師匠は、動きが少なくて上品な芸だなと思う。
 犬のおっとりした感じがよく出ているけれども、コレはやっぱり親父さんの方が好きだ。

 そして馬生師匠ってやっぱりウマイし面白いのになんで評価されないんだよぅとついヤケ酒。

 繰りかえしの面白さ、そば清の「どうもー」という挨拶のリフレインで会場も私も笑わされてしまう。そばをすするのがウマイのはもちろん、困惑した表情、間の取り方、声の演技力、いつから老成していたのか知らないが、いつ観ても名人の安定感。


 安定感の真逆にあるほにゃほにゃ語を繰り出しながら、くすくす笑いを爆笑に変えていく正に真打ち登場、志ん生師匠の「風呂敷」。映像と音声が不鮮明という、子供2人とハンデを背負いながらもあの色気と愛嬌ったら卑怯過ぎる。

 「おい、帯がほどけてるよ」
 「ありがと」

 で一緒になっちゃう夫婦のありよう、その一瞬のやりとりにドラマを感じさせるのは、散々遊び尽くした男だからか名人だからか。


 「早く寝よう」


 というヨメの一言に怒るくだりが大好きで、怒られても志ん生師匠の袖を引いて「早く寝よう」と言いたくなるのよと酔いながら思う正月であった。


 残っている音源が少なくなるのが寂しいこの頃、今年は全て聴いてしまうんだろうなと志ん生師匠の音源リストを眺めながら思っている。


 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

竹本清太夫さんのこと(2)

 竹本清太夫さんのこと(1)はこちら>>

 
 12月4日に、横浜にお見舞いに行ってきました。
 昼間はデイケアの施設にいらっしゃるので、自宅ではなくその施設にお伺いしました。

 アットホームで穏やかな環境で、血色もよく支え無しで歩くほどに回復されていました。



 のんびりとお芝居の話を2時間ほど。

 お稽古はしたいけれど、三味線がねぇ~という話になり、身内に迷惑をかけているという意識から尋ねることもできないまま、という状況のようです。


 「でも、寄付とかそういうのは気を遣いますから、結構ですよ」とおっしゃっていたので、せめて肩衣を作る際の職人さんを探すとか、そういった形でのお手伝いをしようと思っています。あと、三味線の「駒」で、大正時代ぐらいに作られた「義金の駒」というものを惜しがっていらっしゃいました。

 大事にされていたのですが、入院中にどこかに売られてしまったそうで…
 ネット検索でも情報がなかったので、もしご存じの方がいればお知らせください。 
 


 病院を出て1ヶ月、ようやく落ち着いたところなので、年明けに外出できるようにしましょうという話になっています。

 「舞台やれそうですか」と聞いたら「『壺坂』を24日間って言われたら、自信が無いわねぇ」とおっしゃってましたが、いきなりそれはないと思います(笑)。



 「勘三郎さんがね、いつも『お客さんをなめちゃダメだよ、死ぬ気でやんなきゃダメなんだ』と言ってらしたの。舞台の衣装のまま床まで上がって来て『清さん、今日ぼくは死ぬ気でやるから、お願いしますよ!』なんてね、言われたら心臓バカになるまでやっちゃいますよ」



 でも、舞台で死ぬことが人に迷惑をかけることも、清さんは十分に承知しています。


 「出たいとは思うけれど、ご迷惑になっちゃいけないでしょ、自分からはなかなか言いだしにくいですよ」

 そう言って、あれやこれやと舞台で亡くなった文楽の三味線弾きさんの話やらをしてくださいました。

 今は、先の見えない病院生活から抜け出せたことに、まずはほっとしているようです。

 「病院では、看護婦さんとよくケンカしちゃってね。ひどいのよ『ヘンに頭が冴えてるから理屈っぽい』なんて言われちゃって。『ヘンに冴えてる』ってこっちはボケてないんだから当たり前ですよ」

 と怒っていらっしゃったのがおかしかったです。

 


 今度のデイケアの施設では、少人数でヘルパーの方達も応対が丁寧でした。

 「歌舞伎の話をよくして下さるんで、興味を持っちゃって。お芝居の話を始めると、どこまでも止まらないんですよ~」

 と笑っていました。

 目に浮かぶようであり、環境がいい方に変わって少し安心しました。


 この日は「振る」という邦楽独特の節の付け方について、講義をたっぷり聴きました。民謡を歌い比べて、平板に歌うと何の味も無いのに、清さんが節を泳がせながら歌う(これを「振る」とおっしゃってました)と、哀愁や土の匂いが立ちのぼってきます。

 それをさらに「酒屋」の語り比べで教えてくれて、一人で聞いているのはもったいないような時間でした。次回のお見舞いでは、許可をいただいて録音かなにかの形で、お話しをお送りできないかと考えています。


 笹野さんやファンの方のメッセージも、とても喜んでいらっしゃいました。

 「こんな私みたいなもの、忘れられてしまうのが当たり前なのに、思い出して下さるだけで有り難いです」

 と、ニコニコと話されていました。


 また、次回にはさらにお元気になっていると思います。
 こちらでご報告させていただきますね!


 

| | コメント (3) | トラックバック (0)

12/4 上野鈴本演芸場・夜席



 セミナー講師として、今年は73回の講座をやった。
 ※まだ残ってますが。


 年に1回、3年連続で呼んでくれる会社がある。


 同じネタを同じ人に聴かれるのはホントは苦手だったのだけど、今年は「何度聞いても面白い」話芸の修業に努めていた。その心の師匠に、自分の中でピッタリ来るのが柳家喬太郎。
 今年、一番声を聴いた噺家だと思う。



 その成果か、私の講座を3年連続で聴いている担当者がゲラゲラ笑っていた。
 帰り際に「いやー小ネタに磨きかかってますねー」とお褒めの言葉。
 努力はそれなりに結果が出るんだなーと、確認した。


 ※同時に、そんな方向を目指していいのかという不安がよぎった
 
 


 iPodnanoを、この夏ようやく手に入れて、初めてポッドキャスティングを聴くようになった。喬太郎師匠のラジオ番組が、毎週5分だけ聴ける。落語紹介のコーナーでは、宮戸川の後半を説明しているだけなのに、ぞぞっとした。


 東京FM「柳家喬太郎のキンキラ金曜日」
 http://www.tfm.co.jp/rakugo/
 ※全部聴ける人たちがうらやましいー(涙)

 その場で視聴者から来たキーワードを3つ出し、師匠が即興で3分の三題噺をするコーナーが上がってると嬉しい。


 お題が出ると、私は一時停止ボタンを押す。


 自分も一応、噺をその場で作ってみてから、再生ボタンを押す。
 そして毎回、当たり前だが喬太郎師匠の天才っぷりに完敗する。



 私は、まずサゲに来る「○○だけに~だ」を先に考えておき、逆算してストーリーを組んでいく。まぁ「お材木だけに助かった」「天ぷら屋だけにあげられた」といったダジャレのパターンが、即興の三題噺では作りやすい気がする。
 ※三題噺は水平思考の訓練に有効なので、セミナーのワークにたまに入れます。


 そのサゲが読めないように、ストーリーを引っ張ってこなくちゃいけない。
 喬太郎師匠はその上、人物造形や間に挟む小ネタだけでも十分笑わせる。
 ホンマに即興で、しかも3分でほぼピッタリ終わる。
 どんな頭の回転をしてるんだろう


 とにかく聴きすぎていつも耳の中にいる気になってたので、寄席で目の前にストンと座った喬太郎師匠に、かえって慌ててしまった。三列目なので今までで一番近い。



 この日、そこまでの噺家達が存分に笑わせていたし、この日の本命「ねぎまの殿様」は終わっていた。さして期待をしていないところに「夜の慣用句」。


 運良く、私はまだコレを聴いていなかった。
  


 エロくてバカで、これを作れる頭の良さに嫉妬まで感じる。
 寄席は本日一番の爆笑に包まれていた。


 私はちょっと本気で、股間の水割りを拭いて差し上げたい心境になったりしたのだ。
 あぶないアブナイ。


 さて、今日の演目をざざっと。
 今日は本当に、トリ以外は全て満足。


 前にも寝てしまったので心配していたのだが、今回も小満ん師匠の「富久」で爆睡。
 あのぼそぼそとした声と、相性が悪いのか、良すぎるが故の睡眠なのか。


 ようやく目が覚めたのは、富くじを神棚から見つける時の描写。
 8割観ていないので、本当に申し訳ない。
 次回こそ……


 ○古今亭朝太 「まんじゅうこわい」

 番組表に出ていない名前、急な代演だった模様。そのせいか、トップバッターながら気合い十分で、隅から隅までアンコのみっしり詰まった「まんじゅうこわい」だった。

 まんじゅうが出てくる前に、若い衆のやりとりだけで存分に笑わせる。そこで終わっても満足できるほどの出来だったので「あれ?まんじゅうこわいだったの、え、今からまんじゅう食べるって大丈夫!?」と勝手に時間を案じたほど。

 デブが幸せそうに甘い物を食べるだけで笑えるという、ビジュアルも味方につけている。




 
 ○林家時蔵 「替り目」 
 
 この噺がベスト5に入るほど好きなんで、聞き比べられるのが嬉しい。うどん屋のくだりまでやってくれたので大満足。酔っぱらい描写が濃すぎないのも、新鮮だった。




 ○林家正蔵 「新聞記事」

 正蔵という名前がかわいく見える時点で、もろもろの戦略ミスを感じる。小学生っぽさまで感じる驚異の童顔に、本人は悩んでいるんじゃないだろうか。噺は全力で本人も楽しんでいるのが伝わり、客もそれに反応する。私はいつも、母性本能を喚起されてしまって見守りモード





 ○漫才 大空遊平・かほり

 夫婦漫才って、ヨメがダンナを尻に敷くパターンが王道やねんなー、逆スタイルってないんかなと思った次第。いえ、まぁ、ウチの夫婦がやってもそうだろうけど。
 




 ○柳家はん治 「背なで老いてる唐獅子牡丹」

 まともに聴くのは初めてなので、新作やるんだと驚いた。桂三枝の作らしい。はん治師匠の風貌と任侠の世界観がぴったりだが、ジジイばかり出てくるのでやたらおかしい。会場も高齢者中心に爆笑を巻き起こしていた。はん治師匠のハスキーな声が耳に残っている。古典になれる新作、これはもう「高齢者×ヤクザ」を思いついただけでヤラレタ感がある。



 ○三遊亭金馬 「ねぎまの殿様」

 板付き、合間にちょっとデレっとしながら、おじいちゃんの解説付き「ねぎまの殿様」といった印象。金馬師匠の年齢的なものもあるが、殿様に振り回される「三太夫」が愛嬌たっぷりでそこにいる。特に「雪見に出かけるぞ!」と言われてから、一度文句をぶーぶー垂れてみて「…こう言えない時代なんですよ」と服をぐるぐる巻きに来てイヤイヤ出てくる三太夫の描写が、可愛くってたまらない。

 煮売り屋での描写はわりとアッサリ、むしろ力が入っているのは城に戻っていきなり「“にゃあ”を所望する」と言われた料理番の苦悩である。

 あっちに聴けず、こっちに言えず。

 部屋でにやー?いにゃあ?うんにゃあ?と苦しむ料理番に、場内が同情しつつ爆笑する。丁寧に作って持って行き、怒られるのは「目黒のさんま」と同じ。そして、前に書いた通りこの噺の幸せポイントは「余は満足であるぞ♪」と殿様がご満悦になるところである。

 金馬師匠がお元気でまたやってくれればいいのだが、ひとまず大好きな噺を、生きている間に寄席で聴けて本当に良かった。

 まさに「余も満足」、トリまで体力を残せなかった悔いは残るが、今まで行った寄席の中では充実度ナンバー1だった。
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ご連絡。


  12月4日に清太夫さんのお見舞いに行ってきます。
   皆さんのメッセージ、お伝えしておきますね!

  このコメント欄にいただければ、直前まで確認できますので、お伝えできます。
  メールでも構いません。 携帯でチェックしています!
  yt@kikaku-ya.net

  4日の夜は、上野鈴本でナマで聴くことは生涯無いだろうと思っていた、大好きな「ねぎまの殿様」(あんまりやる人いないですよね!?)を、金馬師匠で聴いてきます。めちゃ嬉しい!!

 個人的思い入れはこちらの記事↓
 http://toto.cocolog-nifty.com/kg/2008/10/post-304a.html 

 ホンマはその後に、ねぎま鍋で一杯やれるとサイコ-なんですけど、浅草にあるお店しか見つからず。残念!

 それから、喬太郎師匠も出る日なので、初めて寄席で観られて嬉しいです。

 最近聴いてて、なぜか喬太郎師匠の「錦の袈裟」がツボに入って仕方ないです。
 途中の花魁同士の話っぷりが、このコントを思い出すんですよー

 http://www.youtube.com/watch?v=4QSjyfv3Cvk
 志村けん&柄本明の芸者コント

 ええわー

 喬太郎師匠が何をやってくれるのか、持ち時間15分ほどみたいなんで過剰に期待はしないでおこう…
 

 メインはとにかく金馬師匠、マヌケで愛すべき殿様に会いに行ってきます!


 

 

 《私信》

   またいろいろ落語の話をしたかったのですが、気が向いた時にオススメでもあれば教えてください。
   ※もし何か失礼なことをしていたら、本当に申し訳ないですm(__)m

   ひとまず、この本オススメですよ~↓
   

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«竹本清太夫さんのこと。