塾講師というお仕事
「僕が本当に若かった頃」業種別Blog100選に、自薦してみたら「塾講師」として登録していただきました。Blogの機能を活用した目のつけどころや分類としても面白いなーと思います。こういうのってやっぱり最初に考えた人が偉いですね。
「業種別」ということで、少し私が教育に関わってきた経歴を書いてみたいと思います。
まずは学生時代に貧乏で、たくさんの家庭教師をこなしていました。小2から高3まで、テスト前には京都中を走り回っていました。これは教材会社の下につけられたセンターだったので、初心な私は高い教材を売りつけられた家庭に、フォローとして行かされているのも知らずにやっていました。これがまったく使えない教材で、今思えば悪徳な家庭教師センターだった気がします。
3回生の頃には口コミだけで生徒が来るので、センターをやめてしまいました。家庭教師としての経験が、「家庭と教育」を一緒に考えるくせをつけてくれたと思います。保護者対応に後に生きることになります。
4回生の時に、それまで経験者しか入れないと思い込んでいた塾が時間講師を募集していました。たまたま「初心者可」だったので試験を受けてみました。あっさりと合格し、すぐに中3を3クラスの国語を全部担当することになりました。おそらく人材不足だったのでしょう(笑)。この頃は、小4の社会なんかも教えていました。
この時に当たった一番賢いクラス(現在大学を卒業、就職1年目?)にバカにされないよう必死でがんばったのと、一番下のクラスにてこずった経験が1年で私を一気に鍛えました。
最初は、家庭教師と合わせると月収が40万近くあったので、そのまま非常勤講師を続けて物書きの勉強を続けよう、なんて思ってました。就職活動には興味ゼロでした。しかし、イヤーな予感は漂ってましたがバブルが弾けて父親が会社を潰してしまい(2回目なのでびっくりしなかった)、母親を安心させるためにそのままバイト先に就職することにしました。運命的にも、その知らせを聞いた電話を切ってそのまま塾にかけると試験が次の日だったんです。
無事に入社試験に通り、内定式で「3年で校長になる!」と社長の前で宣言したとおり、めちゃめちゃがんばって3年目で校長になりました。とは言っても、中間管理職に過ぎません。このあたりは、おもろい話がいっぱいありますのでそのうち書こうと思います。
ただ言えるのは、私が「国語教師」一筋で来れたのは最初の校がやたら人数の多い校だったお陰です。中3が5クラスあるような塾なので、先生が足りず1教科担当するだけで良かったことが専門性を高めたと思います。また、上司が営業活動よりも教務をやらせてくれたことも大事な要因です。
教師になった最初の頃は、本当に誰にも負けたくなくて「日本一の国語教師になる!」と豪語していました。若かったと思います(赤面)。そして、300人ぐらい生徒を送り出した時点で気がつきました。「日本一」なんてどうせ誰にも決められないし、大事なのは生徒個人との関わり。いくら先生達の前で模擬授業を上手にやれても、教室の中の子ども達のやり取りから生まれる授業は一期一会であり、伝わらないと。
そこから、私の目標は「人生で出会う、最高の教師でありたい」になりました。その子が学校や塾で会った先生の中で、忘れられない国語教師でありたい。そのために、一人一人に「本気」で接してきました。自分に本気になってくれる肉親以外の大人の存在は、きっと子どもを変えると信じています。
だから、怒るとむっちゃ怖い教師でした。中途半端に甘やかしたり、馴れ馴れしい関係を作ったりすることが「本気」ではないんです。「ただ好かれる教師」は最高の教師と同義語ではないと思っていました。
ま、長くなりましたがこれが私の教育に関わってきた経緯です。まだ続くので、別の機会にでもまとめることにしますm(__)m


Comments
はじめまして。非常勤の塾講師をしているaranと申します。
>そこから、私の目標は「人生で出会う、最高の教師でありたい」になりました。その子が学校や塾で会った先生の中で、忘れられない国語教師でありたい。
私も生徒の人生に影響を与える存在になりたいと思っています。
Posted by: aran | 2004.04.05 at 06:12 AM