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2004.06.04

読書好き・小説家になりたかった女の子。

 「週刊アスキー別冊・300万人のブログ大全」に紹介されていましたので、そこで検索してくださった方をこんなへビィな話でビビらせてしまいましたm(__)mちょっと直しておきました。今日のブログは、どんな子どもにも殺意の芽があってそれを食い止めるのは何なのかを体験的に書いてみたものです。ちょっと重い内容です。

 紹介されていた日記は 「カンニングはお見通し」 「エリート教師は使えない」「お受験ママ最強列伝vol.1」「最強列伝vol.2」「最強列伝vol.3」はそれぞれリンクをたどってみてください。 まだまだ、役立つ話も裏話もお届けしていきたいと思います。

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 連日報道される佐世保の小6殺人に、色々と思うところがあります。加害者は小説家志望で読書家。……私もかつてそうでした。そして明確な殺意を抱いたことが何度もある小学生でした。

 いなくなったらいいのに、と何度も思ったのは育ての親(以下母とします)です。あくまで当時の私目線で思い起こすと、彼女は大変厳しく気分屋な面がありました。

 こんなことがありました。私の顔の洗い方がいいかげんなことに逆上した母が、私の顔を洗面所に押しつけて洗面器を後頭部からかぶせて水を流しながら洗面器の上から殴りました。その力は相当なもので、洗面器が割れました。そして頭が切れて、血がだらだらと出てきました。彼女は説教を中止して病院に連れて行きました。何針か縫うケガ。当時「縫うほどのケガ」は初めてだったので怯えたものです。彼女はこう言いました。父親には「割れた洗面器の横で顔を洗っていたら切っちゃった」と言いなさい、と。それが小学2年生の時のこと。人間不信ってのはこういうことから育ちます。だってそんな母親に「嘘つき」と叱られるのって理不尽でしょ(笑)。

 当然と言えば当然ですが、私は彼女が育てたがっていた快活で品行方正で正直な子どもには育ちませんでした。穏やかな時は料理も上手だし絵も描くし、美人で自慢の母親でしたが、とにかく私には怖い。殴る。妹(実の娘)には甘い。私は私でどん臭く、叱られるの怖さにその場逃れの小さな嘘をついてはバレて倍怒られる、という悪循環を繰り返していました。だから私は子どもの嘘に対してびっくりしません。嘘をつかせた原因は何なのか、それを解決しないと何もならないからです。

 それはともかく、私の救いは本を読んでいる時間だけでした。漫画も含めて、とにかく活字の世界にいれば私は何にでもなれる。学校も決して楽しくはありませんでした。5、6年生はすぐに泣くのでいじめにあっていたのです。いやいやリーダー格の子たちに振り回され、家庭科の準備室に呼びだされてイスに縛られて「消毒してやる」と塩やコショウを頭から何人もの女の子にかけられて、泣いて帰っても家でもなかなか言えない。彼女たちは大人の前では完璧に振るまい、ボロを出しませんでした。今回の事件から思うと、塩コショウなんて可愛いものですが。

 ここで、結局「どんな本に出会うか」が運命の分かれ目だった気がします。幼いながら、私の中には鬱屈したものが詰まっていました。いつ、あの友達を殺した女の子のように実行していたかもわからない。しかし運良く、私の出会った本には「人の殺し方」や「友達を殺す話」はありませんでした

 「小公女」や「キャンディキャンディ」を読んでは「今は辛くてもいつか誰かが私を迎えに来てくれるかも」なんて甘い夢を見ました。
 「冒険者たち」を読んでは、友達が殺される悲しみに共感しました。
 「大草原の小さな家」シリーズを読んで、厳しい自然に立ち向かう素朴な暮らしと家族の絆に憧れました。
 たくさんの闘病物や戦争物を読む中で、「生きたいという本能」を自分のもののように感じました。

 中でも、繰り返し読んだ本があります。図書館で何度借りたでしょうか。「荒野にネコは生きぬいて」という外国作家の本です。(廃版で未だに手に入れることができずにいます)一匹の子ネコが突如、荒野に捨てられ、必死で食べ物を探し敵と戦い、たくましく生き延びようとする話です。イラストでは黒猫だったので、私の黒猫好きはこの本が始まりだったと思います。

 ネコを襲う運命の過酷さにハラハラし、年老いて荒野を出て老夫婦の家に飼われた時には本当に嬉しく思いました。しかし、せっかくたどり着いた安住の地で、このネコは車に跳ねられて死んでしまうのです。号泣しました。大人になってもう一度図書館で借りた時にも号泣しました(笑)。あんな小さなものでも必死で生きている。命の大切さを自然と学んでいったのだろうと思います。子どもにも読ませたい本の一つです。

 あくまで自分と言うサンプルでしか無いのですが、何か心に抱えている子どもが吸収する本や映画やテレビは、多大な影響を与えると思います。そして書くものを読めばその影響がわかる。周りの大人に、何でも阻止するのではなく、子どもが何を読んでいるのか、どんな感想を抱いて受け止めているのかを気にかけつつ誘導する必要はあるのではないか、と思っています。

 今でこそ言うことを聴かない子に授業中に怖いこと言ったり脅したりもしますが、根っこにあるものは大人が熱く語っておかなきゃいけない。国語には有難い事に「小説」がありますので「夏の庭」なんかが出てくると、「死」に関して語ることができる。子どもを泣かせるほどの授業をやってこそ、だと思います。他者への共感を育てることも、大事な教育ではないかと考えます。そしてそれを複数の大人がやってこそ。

 ついでに、私がなぜ人を殺そうとしなかったは、当時やたら警察が怖かったのもあります(笑)。仮に人を殺したらどうなるか、それは自分の人生が終わること。死刑になるんだと思ってたので、ある意味知識が無いと言うのも抑止力があったのかもしれません。厳しく叱ろうとして「虐待で訴えたら俺ら勝つもん」とか「12歳以下は大丈夫」なんて小5の口から出るとぞっとします。奴ら、警察も権力も舐めてるんですよ。それは誰の責任だろう、と考えてしまいます。

 長々と、とりとめもなく重い話を失礼しました。改めて自分に何ができるんだろう、と思っています。

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コメント

今日、週刊アスキーを読んで、このブログを知りました。
少しだけ読ませて頂きましたが、非常に面白いです!

ちょくちょく見に来させていただきます。

投稿: 塾長 | 2004.06.06 00:36

>塾長さん

訪問ありがとうございますm(__)m
塾を運営されているのですね。

私もまたお邪魔したいと思います。
集客面の裏話なんぞも、そのうち書いていこうと思っています(^o^)丿

どうぞよろしくお願いします。

投稿: とと | 2004.06.06 03:46

同じネタで私も書いてました。
同じく人に明確な殺意を抱いても
江戸川乱歩だの民俗学だの黒魔術だのにいくだけで
(切り裂きジャックとか好きでしたねえ、小学生なのに)
リアルに殺害本というものはなかったですねえ・・
実際に小学生の時にそれがあったら
手に取ったのでしょうか。
わかんないんですけどね・・

三浦綾子の本で名前は忘れたんですが、
東大に受かったその日に息子が自殺、という話がありまして。
すごーく何度も読みました。

そして「はみだしっ子」も何度すりきれるまで
読んだことだろう・・

何度破り捨てられても買い直して、今も持っています。
そうやって哀しみを癒してたんでしょうか。

投稿: くるまき | 2004.06.07 10:07

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