2007.02.20

「算法少女」 遠藤寛子

Sanpou

「算法少女」遠藤寛子(1973年)


 何気なく本屋で手に取りました。児童文学なので大人ならさっと読めます。
 ぜひ、算数・数学好きの子どもに読んでほしい一冊です。


 江戸時代、父の影響で和算(日本の数学)を得意とする「千葉あき」という13歳の少女を主人公に、対決ありサスペンス風味ありで進んでいく読み物。身分差が厳然とあり、しかも女性が学問をすることが難しい時代に「算法が得意な町娘」が主人公だなんて、設定だけでわくわくします。


 その期待に応えるかしこく優しい主人公の成長と、天才を囲む周りの大人たちの思惑が物語を展開させていきます。子ども同士の交流も愛らしく、和やかな空気があります。やわらかな文体のせいかもしれません。


 その一方で、学問の流派の違いで揉める滑稽さ、厳しい人々の生活といった大人社会の側面も映し出します。それだけに「答えがゆるぎない」数学の特質が、輝いてみえます。


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 「いったい、算法の世界ほど、きびしく正しいものはありますまい。どのように高貴な身分の人の研究でも、正しくない答えは正しくない。実にさわやかな学問です」

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 こんな言葉に突き当たると「数学偏差値40台」のまま学生生活を終えたことを、ちょっと後悔もします。合間に出てきた問題の計算法がまったくわからず、うろたえてしまいました(笑)。

 算数ギライの子も、主人公を応援しているうちにその魅力を知るかもしれません。

 私は久々に小学生ぐらいの気持ちになって読み、あきが貧しい子に九九を教え始めたあたりでは一緒に習いたい思いでいっぱいになりました。 

 実際にモデルとなった少女が残した当時の数学の指南書を基に、国語教師であった作者が書いた児童文学で多数の賞を得ています。長いこと廃刊になっていたのが、数学の先生をはじめ復刊運動が起こって蘇ったようです。


 しかし、子どもの気持ちに戻っていても以下のような文章が引っかかります。

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 「お千代ちゃん(あきの友達)、たいへんね。おけいこ、おけいこで
 ひとりが同情していう。けい(友人の一人)が、首をかしげて

 「お千代ちゃん、なんであんた、そんなにいろいろおけいこするの?おどりのほかに、お三味線も、お琴もでしょ」
 「あんたしらないの?お千代ちゃんは、お屋敷へあがるためのけいこなのよ」

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 当時の少し裕福な家庭では、娘を武家の屋敷に「行儀見習い」と称して、仕えさせるための仕込みで懸命だったのです。この台詞の「おけいこ」を「塾」または「習い事」にして、「お屋敷」を「私立中学」に変えると現代でも違和感がありません。しかもこの後「お千代ちゃんの家は、お金持ちだから、行儀見習いにもあがれるのね」と続きます。お屋敷に上がるとさまざまなお金がかかるとのこと。一緒ですね(笑)。

 
 あきが娘らしいことをしないで問題を解いているのを「算術なんかじゃお屋敷に上がれない」と苦々しく思う母親、そして算術オタクで生活力の低い父親、保護者の姿も人間くさくて面白いです。

 
 また、この本は「純粋な知の喜び」を思い出させてくれます。
 
 
 叱られないためでも、褒められるためでも、
 合格するためでも、卒業するためでも、
 資格を取るためでも、稼ぐためでもなく。

 
 問題を解くことが面白くてたまらない、あきの夢中になっている姿に昔の自分を重ねます。小中高と学校図書館に入り浸り、特に高校生になってからは「とりかへばや物語」「夜半の寝覚」「落窪物語」と言った平安のマニアックな古典にハマって、原典を注釈を頼りに必死に読んでいました。そこにはただ「なんて書いてあるのか知りたい」という素朴な欲求のみ。「夜半の寝覚」に至っては未完だったので、大学に行ったら文体研究をしてこの続きを当時の文体で書くんだ、というワケのわからない野望を持っていました。

 しかし、一人暮らしの解放感と「学説」が飛び交う国文学研究の面倒さに、あの陶酔するような「知的欲求を満たす快感」を置いてきてしまいました。なんてこと!

 
 「もっと知りたい、解くのが楽しい」という素朴な喜びを、取り戻したくなる一冊です。
 そういう意味では、大人にもオススメです。

 
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2005.09.10

「東京タワー」を読む。

 ベストセラーになっているリリー・フランキーの「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」を盆休みに実家で読んだ。一晩で読み、誰もがレビューに書くように泣いた。

 

 これはまず、全ての親に読んで欲しい本だと思う。私は子どもに対する「無償の愛」というものを知らない。だから過保護な親に対して、どこか「そこまでしなくていいのに」という醒めた気持ちも持っている。しかし、この本は親の過保護を美しく肯定してくれる。

 

 2点だけ先に厳しいことを言っておくと、過保護な中にも「人様に恥をかかせてはいけない」というオカンのしつけ、身仕舞いのよさや自分の子以外にも愛情に満ちた優しさと「我が子さえよければ」の過保護は違う

 

 もう1点、オカンの子育ては必ずしも社会的に「成功」と言われる結果を産んでいないということだ。リリー・フランキーは親の仕送りに甘え、自堕落な生活を送り大学を中退しそうになる。たまたま優れた才能があったから現在は成功者になっているだけで、通常はイラストや文筆の世界で成功するのは非常に稀なことであり、うっかりすればリリー・フランキーはニートにもなり得たのである。才能がある人間の幸運を、全ての親が「こんな風に育てればこうなる」という淡い期待を抱かないように、最初に打ち砕いておく。

 

 

 さて、その2点を踏まえた上で、この本はやはり「親の愛」の美しさを教えてくれる。彼が大学に合格した時、「何が食べたい」とオカンに言われて「おにぎりがいい」と答えた息子の気持ち。それに何十個もの色んな種類のおにぎりで答えるオカン。私はここから涙もろい読者になってしまった。

 

 そして最後まで、この本は息子から親への限りないラブレター。
 
 とりあえず中学生以上は読めるだろうから、ぜひ読んで欲しい。
 子どもから見たらうざくて冴えない親でも「無償の愛」があるから、君たちを追い出さずに養ってくれているんだろうと少しは気づくだろう。

 

 小学生は、あざとい話だが最初の3分の1ぐらいからは入試に出そうな気もする。鮮やかな子ども世界の描写。私の大嫌いな「君たちのことわかってるよ」という媚を見せた気色の悪い児童文学より、よっぽど面白くリアルだ。

 

 大人には自分の親のことを思うかもしれない。子どもがいる人は、子どもの将来を。いずれにしても「家族」について強烈に考えさせられる。実は私の父親はこの本に出てくる「オトン」とそっくりだ。そして、私は「オカン」というものに対しては非常に複雑な想いがある。

 

 

 私は自分を産んだ母親には、会ったことがない。顔も写真を一枚見た記憶があるだけだ。
 23歳で赤ん坊の私を押し付けられた継母は、きちんと私を育ててくれた。しかし妹が生まれ、小3で父親が会社を潰して生活が苦しくなってからはとにかく厳しく、気まぐれに手を上げるので、私は心を閉ざしていた。

 

 それでも、やはり私の母親は彼女だけだと思っている。

 

 血のつながりなどあてにならず、きちんとした家に育ったからと言ってまともに育たないケースもある。
 ウチは波乱万丈で成金も貧乏も、短い期間に両方味わった。ここで書けないほどめちゃくちゃだったが、それでも子どもは育つ。いつまでもトラウマだの親のせいだのといい大人が責任転嫁をしていても、自分の人生は時間だけ経っていく。乗り越えるには視野を広く持って、イヤなことは忘れるかネタにして生きる図太さが必要だ。私だってぐずぐずと自分の欠点を、カワイソウな子ども時代のせいにして酔っていた時期だってある。でもそれだけでは、何も変わらないことに、ある日気がついた。

 

 この本は思わずこんな自分の過去を書いてしまいたくなるほど、自分の親、子ども時代、そしてこれからの家族について考えさせる力がある。読み終わった後も、「無償の愛」なんて信じているわけではない。報道される虐待事件、一度も会いに来なかった産みの親、そんなことを思えば別に親子の愛情は当てにならないとも思う。それでも、この本の中にある暖かい関係は決して郷愁だけではなく、その気になればどんな家族にも作ることができると信じたい。

 

 本を閉じたあと、初めて赤ん坊の私を手渡された23歳の若い女性を思う。
 美しく絵の才能もあって、これから社会で花を開かせようとしていた矢先の恋愛。その後に突きつけられた「産んで無い子の育児」。23歳の私には、できなかったことだろうと思う。

 

 彼女に喜んでもらえる仕事がしたい、と改めて思った。
 そしてまだもう一花、咲かせてほしい。
 そのためにできることは何でもしよう、と。

 

 偉そうに教師をやって保護者に指導をしているが、私も一人の子どもに過ぎない。そんな当たり前のことを思い出させてくれる一冊だ。

 

 

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 今日は堅い文体と内容ですが、力のある本なのでぜひ読んでみてください。

 

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2004.07.13

子ども時代の愛読書・再収集計画。

 先日からふと思い立って、子どものころ愛読していた本を再収集しようと思ってネットを徘徊しています。不思議なもので、文庫本で出直していてそれが安く手に入っても全くそそられません。当時のままのハードカバーで集めたいと考えています。記憶をたどりながらリストを作成し、手に入るものから徐々に集めて行こうと思っています。

 さて、最初に手に入れたのは子どものころ何度も図書館で借りた「荒野にネコは生きぬいて」(文研じゅにべーる)です。前にこの日記を書いた時には廃刊だと出ていたのに、奇跡の復刊です。もうどれほど嬉しかったか。今目の前にあります。この本に向かう時、私は子どもに帰ります。

 教師の目で読んでも、小学校4年生ぐらいから読めるようになりますのでぜひ読んでほしいお薦め本です。当時の読書感想文コンクールの課題図書になっていました。

 飼い猫が捨てられて荒野でたくましく生き抜く話ですが、改めて読んでインパクトのあった箇所があります。自分の子どもが火事にあって死んだ後、主人公のネコが子ネコの死を実感する場面です。

 「それ(子猫の死)がわかったのは向こう岸へ泳いでいって、べっこう色の子ネコの死体を見たときだった。黒こげになった死体をかぎあて、一本だけ焼け残った前足をなめたとき、はじめて、はっきりわかったのだ。灰色になった物体は自分の子どものにおいもしなければ味もしなかった。母ネコは、子ネコの死体のそばに長い間じっとうずくまって、あわれな声で鳴いた。」

 動物的な感覚で書かれた表現ですが的確に「死が取り返しのつかないもの」だと表現しています。喪失の悲しみも、抑えた表現ながら感じ取れるはずです。私は子どものころ、「死んだ子猫の足を舐めてみる親猫の気持ち」が悲しくて、ここでいつも泣いていました。悲しかっただろうな、見たくなかっただろうな、なんで死んじゃったの?と思っただろうな、と。

 久々に読んで、こういう読書は映像の何倍も力がある、と思いました。ぜひ、保護者の方も読んで一緒に分かち合ってもらえれば幸いです。本って、親がテレビやパソコンを見てばかりで何も読まなければ、子供は読みません。別々の本でいいので、一緒に読書をする夜があってもいいのではないかと思います。

 さて、暗い話ばかりでなくもう一つ懐かしの絵本を購入しました

 「ももいろのきりん」(福音館)
momoironokirin.jpg

 小学校1年生ぐらいから読めると思います。読み聞かせにもいいですね。私、この話が大好きで大好きで、さいごにキリンのキリカにるるこちゃんが書いてあげる家の真似して、画用紙にスリッパとか時計とか描いて遊んでいました。あんな画用紙ほしい!クレヨンの木もほしい!!キリカに乗りたい!!!

 想像力の素晴らしさを教えてくれます。図書館ででも探してみてください。

 その他、着々と集めているところです。とても幸せな気分になります。お父さんやお母さんの子どものころの愛読書を家に揃えてみるというのも、きっと楽しいですよ。


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