2004.09.12

子どもと同じ目線。

 私が勤めていた塾には「アイデアの鉄人」なるコンテストがあり、業務内容の工夫や教え方の工夫などを募集して優秀なものに賞金が与えられるというものがありました。当時貧乏だったので、せっせとアイデアを出しては賞金をゲットしていたのですが、その中に「授業で使える小ネタ集」というのを出したことがあります。

 その中に「生徒の目線より下になって質問をする」というのがあります。要するに、授業中にちょっと煮詰まってる生徒や大人しい生徒に声を掛けるとき、教師がしゃがんで机に手を掛けて「子どもを見上げる」形を取ることです。

 すげーしょーもなー。

 …自分でもそう思うのですが、これをやる教師は少ないと気づいたので出してみたのです。結構感心されたのは意外でした。

 「机間巡視」と言って教師は生徒の机の間をぐるぐる回るわけですが、その時に通りすがりにノートを指したり立ったまま声を掛ける先生が普通だと思います。そこであえて、問題が解けずに苦しんでいる子や最近自信を失くしている子に声を掛ける時、少し腰と膝を曲げて机の下から見上げて「どうした?できるか?」と小さな声で聞いてやる。

 通りすがりの教師を捕まえて質問できる子は少数です。こうしてこそっと「1対1」の状況を作ると、子どもは少し安心して話しやすくなります。それに「特別扱い」は嬉しいもの。ただポイントはこれを「机間巡視の時のお約束」にしておくことです。たまに自分のところだけ来られると恥ずかしいし、できないと思われるのもイヤだろうから「あの先生は授業中、しょっちゅう誰かのところに座り込む」という癖をつけておきます。

 ここですぐに解決できる引っ掛かりは解消してやる。できない場合は「後でちょっと残っとき、教えるわ。今はできなくてもええし解説聞いといてな」(特に前の授業に欠席していた子に多い)と声を掛けて安心させる。ふざけていたり、眠そうな子にもどっかと目の前にしゃがんで「どうした、やってるか?」「眠そうやけど昨日遅かったんか?」と声を掛けます。

 「生徒の目線と同じか下にする」

 …たったこれだけのことですが、家庭でも本当に伝えたいことを伝える時、役に立つと思います。立ってる子どもにしゃがんでちゃんと目を見て物を言ってるお母さんなんかを公園で見かけると、素朴に「いいなぁ」と思います。心理的に子どもの目線を理解することも大事ですが、実際に合わせて見ることも必要です。

 私は前にも書きましたが、生徒が黒板を写している間などに休んだ子の机に座っているのが好きです。その位置で黒板の見え方や内容をチェックするのもあるのですが、子どもの気分に簡単になれます。隣の子の解答をのぞいて怒られたりしながら(笑)、ここに何時間も座っている子ども達の気持ちを考えるようにしています。

 同時に、単純に自分が生徒の気分になるのが楽しい。

 2回の転校といじめで幸福な小学校生活ではありませんでしたが、ふと取り戻せるような感覚がするのです。子どもの視点になると、大人の世界の嫌な部分も冷静に見えてくることがあります。育児や教育って、子どもとの交流の中から生まれる相互成長なのかもしれません。

 ぜひ、お子さんと目を合わせて見て下さい。一緒に遊びまくれるお母さんやお父さんって最高!

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 【おすすめ映画】

 「誰も知らない」には、子どもだけの構築する世界がリアルに描かれています。友達を切望する主人公の気持ちが痛く、また一つ子どもの心理を思い出しました。機会があれば観てもらいたい映画です。

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2004.08.25

生きている実感。

 色々とあってしばらくお休みをしていました。この間の日曜日は、友人の葬儀でした。2月に末期ガンと診断され、37歳の若さで亡くなりました。そして、私がずっと可愛がってきた黒ネコトトもいなくなりました。人生に永遠という言葉は無く、別れや死がいつか訪れることを痛感しています。

 子どもたちに「人は何のために生きるか」ということを話す場面があります。教材にそういうテーマが含まれるとき、私はこう質問します。

 「例えば明日死んでも、『やりたいことは精一杯やったし仕方ないな、満足だ』と言える人、手を挙げて」

 「えー」「絶対いやー」…誰も手を挙げません。当然です、誰だって死にたくない。人生にゴールも完成形も無いし、ましてや子どもは夢を叶えたり好き勝手に生きるには力がありません。「生」の意味も「死」の意味も、その貴重さも知りません。私も子どものころ、道路を危ない渡り方をして激怒する母親の気持ちがわかりませんでした。「事故で死ぬ」ことの怖さを、わかっていなかったのだと思います。

 子どもながらに「生きていることの貴重さ」を、本や映画や大人の話(いわゆる教育)を通じて実感していくことで、「よりよく生きよう」という志を持つようになります。その志が持てないと、大人になることに希望を持てず前向きに生きることから逃避しようとするようになります。(ただし、現代社会は複雑になり、心の病も数々あって入り組んでいますので一概には言えません)

 大人自身も「明日死んでもいい」と思える密度の濃い日々を過ごしている人は少ないものです。

 今までこのサイトでは紹介を避けていましたが、闘病していた友人の日記をご紹介しておきます。「今生きている実感」を大人が持つことが、子どもにも影響を与えます。

 彼の日記を時系列で読むことで、何かを感じていただければ幸いです。
  http://plaza.rakuten.co.jp/enosan/ 
 ※ただし、皆さんを暗い気分にさせるのが目的ではありませんので無理に読まないでくださいね。

 人生を隅々まで堪能する姿勢、ささやかな幸福を身体と心いっぱいで楽しめること。家族や社会全体がそうなれば、子どもにとって生きる活力に満ちた世界になるのではないか…そんなことを考えています。

 次回からは、国語教育にまた戻ろうと思います。よろしくお願いいたしますm(__)m

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2004.04.23

「スクール オブ ロック」!!

 今日試写会で観てきました。「スクール オブ ロック」。落ちこぼれロッカーがニセ教師として名門私立小学校に紛れ込み、バンド・バトルに出場するために子どもたちにロックを教えるというものです。コメディとしてもロック映画としても上出来。私はダンナにロックの洗礼を受けていて(ちなみにQueenが最愛)、そういった意味でも楽しめましたが「教師モノ」としても非常に感動的な作品でした。

 教師と名のつく人は、先入観を捨ててぜひ観にいってほしい映画です。

 映画のキャッチコピーは

 「日本の教育をつぶせ!全米№1教師にまかせろ!!」

 となっております。「全米№1」とは興行収入のことですな(笑)。いや、でも教師としてもある意味「№1」でした。

 この主演のニセ教師・デューイは「褒め」の天才なのです。だらしなくていい加減な男なんですが、子どもたちにかける言葉は天真爛漫で「本気」です(自分の思い通りにするための多少の戦術はありますが)。エリートで生意気、従順でいい成績を取ることが全て…そんな型にハマった子どもたちを、彼は「魂からの褒め言葉」で変えていくのです。

 私は自分で「褒める」ことを教師として大事な能力だと考えています。言葉の先で褒めたってダメ。心の底から「すっげぇ!」と言わないと、子どもには伝わりません(言葉は悪いですが)。難しい漢字を知っていた時、素晴らしい記述の解答を作った時、マニアックな知識を持っていたとき、誰かに優しくしていた時…「うっそー!こんなんできるの!」と本気で感激して褒める。だから、私の授業は大人に見せるのは恥ずかしい授業です(笑)。

 不思議なんですけど、別に「褒めよう!」と思ってやってるのではなく、子どもの前では感動しやすいタチになります。ある意味、子どもと同化している部分もあるからだと思います。私は空いてる生徒の席に座って生徒を構うの好きなんですが、当時の自分を思うと10歳で塾に来てこんな難しい問題を解いていること自体が「アメージング!」ですよ。

 デューイもまず子どもたちの能力を見出して、感動して褒めまくります。「お前は天才だ!」「クール!」の嵐です。褒め言葉も多彩。裏方の子どもたちにもきちんと目を配ってやる気を喚起させる。落ち込んでいる子がいれば、的確なやり方で盛り上げる。その「褒め」の技術たるや、そこそこ自信を持っていた私でも降参するぐらい素晴らしい。

 子どもとのやり取りもいい。教師は臨機応変に子どもの返事に合わせて、叱りや褒め言葉を繰り出していく。ロッカーであるデューイには、アレンジ・即興はお得意のもの。子どもの返事を取り込んで、その場で彼が作る曲もお見事です。

 映画好きが高じて変な会社まで作ってしまった私にとって、映画ファンとして、ロックファンの端くれとして、そして教育者としてしびれるほどの大傑作でした。

 ロックも授業もライブが最高!授業したいっ!!…と久々に痛感。

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2004.04.07

「塾に行かない」子どもを殺す親。

 こんな事件があると憂鬱になります。なぜ小2から塾に行かせる必要があるんでしょう。私は塾は小4からで十分だと思っています。別に小5からでも。カリキュラムは小4内容を小5・小6で必ずカバーしますから、受験をするとしても間に合います。

 くもんの類だったのかもしれませんが、子どもをお稽古事でキューキューさせてる親は何の目的があるんでしょうか?

 自分が子どもの時にそうだったから復讐?
 他の保護者への体面?
 あなたはピアノが弾けなかったり泳げなかったりしたからって、人生で何か大損をしましたか?
 
 …で、本人は「やりたい」って言ったわけですか?

 キレてしまったお母さんは、相談相手もいないで思いつめるタイプの方だったのでしょう。私だって家に閉じこもって子どもばかり見ていたら、不安にもなるしダンナが聞いてくれなきゃ鬱にもなるだろうし。加えて、人見知りなところもあるのできっと公園デビューなんかできないだろうから、少しは同情できます。

 それにしても子どもが哀れすぎます。愛していたからあれこれやらせていたはずなのに、塾にも入れたはずなのに、どこで歯車が狂っちゃうんでしょう

 「子どもの幸せ」(それは決して子どもが“楽”なことと同義語ではないけれど)を見失わない親になってください。親になってない女に言われるのは腹が立つだろうけど、保護者懇談の数は3000件を超えてます。「完璧な母親」なんて「完璧な子ども」が存在しないようにいません。運動ができなくても、ピアノが弾けなくても、苦手教科があってもその子の個性だからいいじゃないの。

 自分と子どもの共有している時間で、お互いがありのままでいられる「幸せなひと時」をどれほど持っていますか?

 そういう私は、産みの親の顔も知りません。小さなうちに父が再婚した現在の母親に育てられました。

 彼女に「のろい、できない、鈍い」と責められながら育ちました。大学生の時まで殴られることもしょっちゅうでした。私は家にいる時間はほとんど幸せではありませんでした。学校からゆっくり帰るために図書館に籠り、本の世界に逃避して来ました。夕食が緊張の時間…本当のことは何も話せない家庭…それがどんなに辛いものか、母親に叱られないように息を潜めている子どもの気持ちがイヤというほどわかります。

 大人になってから、彼女が私を外に出して恥ずかしくない子どもに育てるためのプレッシャーの日々を、涙を流して話してくれました。今は感謝できるようになりましたし、私の母親は彼女だけだと思っています。

 それでも、子どもにとって「家庭が居辛い場所」「心を開けない場所」になることの苦痛を教育者として、忘れてはいません。いつも受験生の親に言います。

「子どもを叱るのは塾の役目です。家は、受験が終わっても子どもが居続ける場所です。家で叱りたい内容があれば、こっそり電話をしてきてください。代わりに言います。追い詰めないでください。子どもの帰る場所を奪わないで

 もちろん、躾の面で「全く叱れない親」に関しては話は別です。しかし、子どもが納得できない理由で追い詰めてはいけないのです。この悲惨な事件を機に、全ての親に「家庭は子どもの居場所」としての自覚をお願いをしたいと思いますm(__)m

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