2004.11.27

イベント授業・準備中!

 昔、近隣の中学入試専門塾に新小4を食われっぱなしで、新小4営業を大変苦手にしていた時期がありました。兄弟リストとにらめっこして何とか公開テストの数を合わせ、結局は入ってもらえず面談が増えるだけしんどいという妙なことになっていました。今の時期の小3生は営業攻勢にあってるんじゃないでしょうか?

 日曜日、小4と小5対象の授業をしますが「目標が無い」という中で気楽にやれる環境がありがたい限りです。今回はのんびりしすぎていて何も宣伝らしいことをしていませんので、本当に少人数です。特に小5の記述は丁寧に見ようと思っています。

 ◆くろねこ国語塾・イベント授業◆ 11月28日(日)大阪・梅田
  http://www.kikaku-ya.net/kuroneko/school.htm
  ※まだ小4・小5のどちらも参加可能です。当日の飛び込み参加も対象学年であれば対応できます。 

 小4は保護者の方と一緒に授業を受けていただきます。あまりこういう試みをしたことは無いので緊張しますが、塾の授業の受け方を中心に、ちょっと親子で協力してチャレンジするゲームなんかもやってみたいと思います。とっても楽しみです。

 小5は記述を論説と小説の両方をやりたいですが、授業内でできなくても授業後30分に保護者の方も含めて「記述のトレーニング」の方法などをお話する予定です。

 …と、直前の宣伝みたいになってしまいましたが、とっても楽しみにしています。

 「勉強は楽しい」といつも考えます。その「楽しさ」は誰かをやっつけていい成績を取ることや、いい点を取って褒められることだけではありません。(もちろん、子どもが幼ければ非常に重要な動機ですので『褒められ体験』は大事だと思います)頭を使って、理解できた喜び。宿題で悩んで出した答えが合っていた時。わからなかった問題が解説ですーっと理解できた時。新しいことを知った時。

 去年教えていた5年生が「トリビアの泉」大好きで、授業中に「○○って△△なんやで、知ってた?」などと小ネタを混ぜると机の右上を乱打していました(へぇボタンを押しているつもりらしい)。子どもはふざけながらも、「知の喜び」を感じてるんだろうと思います。

 それは直前の小6であっても感じているはずです。過去問の直しをして「あーなんだ、こんなことかー」とつぶやいている瞬間。時事問題をやって初めてニュースの言葉を理解した時。頭の中で一つ何かが成長しているのだと思います。その成長を成績や合否結果だけで見失わないように、くれぐれもお願いしたいところです。
 
 28日は、少しでも刺激が与えられる授業をしたいと思っています。
 よろしくお願いいたしますm(__)m

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 ◆くろねこ国語塾・イベント授業◆
  http://www.kikaku-ya.net/kuroneko/school.htm
  11月28日(日) 大阪・梅田
  小4「国語を楽しむ!親子講座」/小5「記述問題のコツ」
 
 ◆くろねこ@国語塾:役立つ厳選バックナンバーはこちら
http://www.kikaku-ya.net/kuroneko/study.htm

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2004.09.19

ある日の会話。

古いファイルを整理していたら、生徒と交わした会話で面白かったものを記録していたのが出てきました。閑話休題で掲載しておきます。

 

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6月25日

 

今日は慣用句の小テスト。穴埋め式である。
“( )人寄れば文殊の知恵”
「おい、オザキ、『千人』も寄って一つのこと話し合えると思うか???」
“かい( )に手をかまれる”
「『じゅう』って…。かいじゅうにかまれたら痛いじゃすまんで」
“( )の威を借る狐”
「『牛』!?またもう、なんか権力無さそうなもんに頼って…」
“立て板に(  )”
「『書く』?何を?」「えーっと『営業中』とか」「看板か…」

 

「腕を磨く」を「歯を磨く」なんて当然のように書きやがる。これでも彼らは受験生であった。コーチョ―の苦悩は深い。入試まであと6ヶ月。

 

 

6月30日

 

いっつも真っ黒で、「○○学院」なんてお嬢様学校に通っているくせに男子を足蹴にし、丸太から落ちて腰を痛めるような、まさにサルな小学生、マミは数ヶ月前まで成績も問題児であった。しかし、彼女はもともと高いI.Qを目覚めさせ、今回素晴らしいことにトップにたった。
「よお、“クラスで一番のマミちゃん”」
「何それ?」
「今週のテストクラスで一番やったで」
「うっそー!ほんま??」
「ほんま、ほんま。ようがんばったなあ」
「…今回だけやと思う」
「うーん、せやな。“天変地異”かもな」

 

その後、マミが事務所に来て辞書を貸してくれと言う。何を調べているのか寄ってみると、
“天変地異”を一生懸命探しとった。
「あった。『天と地の間に起こる自然の異変』…」
ごめん、マミ。

 

 

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 この時の生徒もすでに高1。懐かしかったのでそのまま掲載してみました。私と生徒の関係は、愛のある「ボケとツッコミ」だと思っています。彼らは解答でボケる。私が傷つけない程度にツッコむ。マミがもし大人しい子なら、絶対に「天変地異」なんて言いません。生徒との距離感や癖をつかんで、毎日会話そのものを楽しんでいました。

 

 こういうのが出てくると「現場に戻りたいなぁ」と思います。どんなお笑い芸人より彼らは最強!

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2004.09.08

志望校からの手紙

 これは、5年ほど前にあった本当の出来事です。

 私が教えていた小6の女の子。ずっと前から行きたい中学はK女子中学だけでした。本人もですがお母さんも熱心で、学校説明会には必ず出席。複数の学校が集まる入試相談会などでも「行きたい」と学校側に意志表示をしていました。

 この年、K女子中は何だか変でした。学校見学会に来た生徒や親に校長や教頭がフレンドリーに話し掛け、「ウチの学校に入ってがんばってね」と受験希望者に声をかけるのです。さらに驚いたのは、受験生の家に手紙を送ってきたことです。「あなたが入ってくるのを待っていますよ」といった内容の手紙です。

 彼女とお母さんはもはや“合格同然”の気分です。もう1人、この学校を希望していた女の子も同様に舞い上がっていました。「わざわざ文化祭で校長先生が手招きして声をかけてくれた」「手紙が来た」と。

 これが、受験生集めに苦しむ私立がやることならわかります。しかし、K女子中は偏差値の高い名門校です。そんな学校から手紙が来て「待ってるよ」と言われたわけです。私はひどく悩みました。なぜなら彼女達の成績は、合格ラインに到達していなかったから。何を意図しているのかわからない「志望校からの手紙」に、私まで淡い期待を抱いたほどです。とにかく出来る限り鍛え上げ、「練習だから」と滑り止めにA女子中を事前に受けさせて合格通知をもらう。それから本番に臨ませる。それでもなかなか、最後まで偏差値も入試問題の点数も「余裕で合格」とは言えない状況でした。

 それなのに。滑り止め校の入学金を入れる段階になりお母さんから連絡がありました。「先生、入学金は入れません。K女子中一本で行きます」とのこと。そしてまた言うのです。「今日、K女子中の試験会場見学に行ってきました。また「○○ちゃん、がんばってね」と先生方が声をかけてくれたんですよ」と余裕たっぷり。嫌な予感はぬぐえませんでしたが、家庭の判断なので受け入れました。

 そして本番。試験は例年の通り難しく、彼女ももう1人の女の子も不合格でした。

 お母さんに電話をすると「K女子中の先生から電話がかかってきたんですよ…算数が足りなかったって。2次でもうひとがんばりしてくださいね、と言われました。先生…2次まで受ければ受かるという意味でしょうか?もともと受ける予定でしたが…」としおれています。

 でも私にできることはただ一つです。彼女達を2次試験に全力投球させるしかありません。

 もうみんな合格してはしゃいでいる中、朝から学校を休んで塾に来る彼女たちとの静かな時間…事務室に戻っては、彼女達のために無理に出勤してくれた算数の先生とため息と、不安と、K女子中の不可解な行動に「もしかしたら2次まで受ければ…」という思いと。あの長い長い時間が忘れられません。

 そして2次試験。会場は共学中を落ちた賢い女子生徒でふくらみ、倍率も難度も上がっていました。予想通りです。入試の朝、彼女達を見送ってもう祈るしかない。

 …結果は2人とも不合格でした。

 本人は思ったよりしっかりしていたのですが、お母さんがボロボロになってしまいました。出るのは愚痴と中学校への悪口ばかりです。私もあまりにも無神経な中学校の受験生集めの方法に、怒りは頂点。自分で電話するよりも会社のK女子中担当の部長に、長いメールを書きました。向こうの校長に伝えてくれ、と。彼女達がどんなにがんばって、期待を抱いていたか。そして学校側のやり方がどれだけ現場を混乱させて、子ども達を傷つけたか。

 次の日。彼女とお母さんが現れました。

「先生、入学金を入れる日は過ぎてしまったのですが、合格したA女子中に何とか入れないでしょうか。本人が行きたい、と言うんです」

 通常、入学金の締め切りを過ぎて入学を認めてもらうことは至難の技です。私はその学校に出向いてお願いに行きました。懇意にしていた入試担当者の先生がすぐに校内会議にかけてくれて、彼女はその学校に入れることに。制服を見せに来てくれたほど、彼女は吹っ切れていました。

 今も、メールが来ます。彼女はA女子中で力をつけただけでなく、高校入試にあえてチャレンジをしました。厳しいことで知られる共学高に移り、果敢に勉強をしています。そんな生徒を見るにつけ、私は中入試の失敗は失敗ではないと思わされます。プラスに転化する力を子どもは十分持っている。

 でも、この事件を思い出すたびに「2回入試に変わったので少しでも受験生を増やして(儲けて)やろうと、見込み客=受験希望者にやたら親切にした」学校側の事情が、保護者の冷静さを狂わせたことに怒りを覚えます。今はそうとしか思えません。

 子ども・親・担当者の志望校に対する切ないほどの思いを、学校側はわかって欲しい。そして、子どもが必死でしている努力を。2度とこういう事例のないことを祈ります。

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 イベント授業に関するメールありがとうございました。東京は日程と場所の問題があって、やはり出向くのは難しいかなという印象で迷っています。大阪は11月の後半に、小4向けの「くろねこ国語塾」を実施したいと思います。詳細は、また後日ここや本サイトでお知らせします。

くろねこ国語塾 http://www.kikaku-ya.net/kuroneko/


受験生の保護者の皆さん、秋は行事が多くて気が緩みがちです。でも大事な小学校の思い出なので、全力投球したいお子さんを止めないでください。大丈夫、終わったらエンジンかかりますよ!

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2004.06.28

夏休み講習の効能。

 今回も過去の夕刊紙連載のバックナンバーから、時期物を。

 「夏休み講習の効能」 2001.7.6 大阪新聞連載分より

 塾のチラシに「夏休み講習!」の文字が踊る季節が来た。塾講師には過酷な夏の到来である。子供や世間様が休んでいる時こそ塾の営業時間。日頃、子供が学校から帰ってきてからが本番の宵っ張り生活をしている者にとって、クソ暑い夏や寒い冬に限って「早起きして朝から働け」というのは何よりツライ。立ちっぱなし、しゃべりっぱなし、書きっぱなしの8時間は激務である。

 さらに夏休みには必死で営業して集めた新しい生徒が来る。幻滅させたくないし、秋からも続けてほしい。今までに習っている子と初めての子を共に満足させる授業には工夫と予習が不可欠である。生徒数も六十人くらい増えているのでトラブルも起こりがち。…これが間に休みを挟むとはいえ、1カ月近く続く。毎年激ヤセするか体調を壊していたものである。今年は退職しているので楽やわぁと嬉しい反面、塾講師の派遣システムに履歴書を「夏だけなら」なんて書いて送っていたりもする。そう、教師としての醍醐味も実は夏にあるのだ。

 電車で会う塾通いの子供を見ると、彼らを一日中自分の生徒にできた「夜の先生」の喜びの日々を思い出す。「おはよう!」と塾に来るのを出迎え、一緒にお昼ご飯を食べる。授業も普段は突っ込んで教えられないことも存分にやれるし、授業と授業の間隔が開かないので系統立てて教えやすい。小テストを繰り返せるので定着率は抜群。中三の古典は、いつも夏だけでゼロの状態から入試レベルまでに一気に引っ張り上げる。一週間に一回の授業ではこれはちょっと厳しい。

 もし、子供に夏休み講習を勧めても「自分でやるよ」なんて逃げようとしていたら、去年の夏休みの最後一週間を思い出してほしい。宿題に追われていたのであれば自己管理のできない証拠、お財布はちょっと痛くても塾には行かせた方がいい。

 受験生であれば朝の講座。無理に起こして、とりあえず勉強させてくれる強制力は必要だ。10時くらいにだらだら起きて、適当に問題集をやって「受験勉強」と思ったら大間違い。受験生でなければ、8月後半の講座に行くことをお勧めする。学校に対して「机に向かう」というペースを取り戻し、塾の先生に学校の宿題からの質問もできる。学生の本分を取り戻すリハビリ期間と思えばいい。または苦手教科の克服を絶対の目標に置いて取り組むこと。家庭教師や個別指導で、遅れに合わせた教材やプログラムを用意してもらえばたとえ前学年の内容から遅れていても恥ずかしくない。

 何にしても長い夏休み、部活も遊びも悪くはないけど「~学生」とつく立場にいる以上は最低限のペースは守るべき。まぁ一番守ってないのは「大学生」やろけどね。

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 多少、中学生を念頭に置いて書いています。中学入試組に関しては「夏講は絶対」です。先生達は超多忙の講習の中で、いない子にまで気を遣った授業はなかなかできません。1日飛ぶと、通常授業の2~3日分ぐらい損します。「とにかく休むな」と生徒には言い続けていました。

 焦って他塾との掛け持ちなどをする家庭もありますが、それをやるなら個別指導か家庭教師の併用をお勧めします。「塾」はどこかの授業で疲れた子の個人的な事情にまで配慮してくれません。個別指導も夏は人材不足でぺーぺーの先生が乱造される時期なので、はっきりと「中学入試に対応できる先生を」と指名することを忘れずに。

 ただ、個人的にダブルスクールは進めません。夏講は始まるとキツイです。ほんとに。

 【くろねこ国語塾】7月18日親子セミナー&イベント授業
  詳細は>> http://www.kikaku-ya.net/kuroneko/

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2004.06.06

塾校長の一日。

 重いネタが続いたので、ちょっとここで塾の舞台裏みたいなものを書いてみようと思います。「線引きのツボ~小説編」はそのうち…。

 私は中堅の進学塾で雇われ校長でした。25の時に入社3年目で大阪に近い京都府のある場所で校長に。3年間同じ校にいました。ハッキリ言って、大手の塾で本部から教師を派遣しない仕組みの校舎では「塾の質は校長次第」です。本部の目も届きにくいですし、受験知識や就労意欲もまちまちですからよくも悪くもやりたい放題。えーっと、私は「生徒にとっては良い」方だったと自負しています(笑)。「子どもが嫌い」と豪語する校長や、売り上げ命で生徒を自習させて営業電話をかけている校長なんかもいて、本当に塾の看板だけでは図りきれないものがあります。

 それはそうと、塾の校長に限らず社員は「朝が苦手」です。出勤は昼からなので、たまにしょうもない会議で朝の10時集合、なんて言われると普通の会社員には何ともない時間でも、塾の先生の間ではため息が漏れる(笑)。夏休み講習の初日なんて、寝坊しないかどうか毎年ビビっていました。

 会議が無ければ、大体1時や2時出勤なので昼から出かけます。私は校舎の近くに住む主義だったので原チャで5分。着くと、社員と事務パートさんを含めたミーティングをします。私の校には男性社員が2人と常勤講師が1人、事務パートさんが1人。後は夕方から来る学生や社会人の先生です。

 ミーティングは生徒情報の交換が中心。とにかく「退塾」は担任の責任でもあるし、辞めた子から悪評が広まるといけないので、できるだけ早く兆候を掴んで対策を取らねばなりません。最近友人関係が変わったようだとか、やる気が無くなっているなど情報交換をします(その経験があったから、たった1学年1クラスの中で起こった佐世保の事件の予兆がわからなかったことに驚きます)。

 それから営業面の話。この時期なら夏休み講習の目標まで後何人で、今やっている営業活動がどうなっているのかをそれぞれ確認。ここは面白いネタがいっぱいあるので、またいずれ書いてみたいと思います。ちょっとペースが遅い担当者には、ちくっと急がせるように言ったりしつつミーティング終了。

 2時から生徒が来始める4時半までは、校の業務や授業準備をします。校長はやたら提出書類が多いのでそれらを書いたり、入室面談をしたり、営業用のリストの整備やDMを作ったりします。営業電話は本部からお達しが出ていましたが「やった」と報告だけして、最低限しかしていませんでした。だって、お互いイヤでしょ。それでも集まる方法が色々あるんで、得意なことで攻めていました。

 また教務としても仕事があり、テスト作成やチェックなどをやっていたりもします。在校生の成績記録を整理し、保護者懇談にも備える。6月は夏休み講習営業開始+在校生の保護者懇談+中間テスト対策で結構しんどかった記憶があります。

 4時半などあっという間。食事は何とかその前に、外に出て食べていました。コンビ二弁当も多かったです。とにかく塾教師は早食いになりがちです。今も治りません(泣)。

 生徒が来始めると、受付のガラスを開けて生徒がわらわらと質問に来ます。他には通塾指導で外に出たり、自転車を並べるのも仕事です。授業が始まれば教室と事務所を往復しているうちに、あっという間に夜の10時。へとへとです。しかし、長時間授業は小学生と中学生を預かっている宿命。特にテストが近い時の中学生は、親が許す限り残って勉強していきます。それに付き合っていると11時。

 夜は生徒の宿題採点やノートチェック、欠席者の配布物を整理したり、欠席電話を入れます。その後、またアルバイト講師の先生と生徒情報を交換しつつ、深夜になってようやく大好きな国語の勉強や入試問題研究ができるのでした。深夜2時を過ぎて、他の校の先生に電話をかけると深夜なのに律儀に「お電話ありがとうございます!△△塾○○校です」なんて出ます。条件反射?

 そんな1日の中で、私が一番好きだった時間は生徒の通塾時間です。校長の席から見ていると、子どもがどんどん受付の前を挨拶しながら通っていく。他の先生が質問を受けている。時に私が呼ばれる。講師の先生が駆け込んでくる。欠席を知らせる電話が次々と鳴る…忙しいけれど、それまで大人ばかりで静かに業務をしていた校舎に一気に血が通う瞬間。思い出すだけで、体に力が湧いてきます。

 …ここを読んでいる保護者の方にも、「塾ってむっちゃ忙しい」ということを知っておいていただけると助かりますm(__)m 相談の電話や面談依頼は午後3時ごろか夜遅めが、丁寧に対応してもらえるのでお勧めです。 

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2004.04.27

カンニングはお見通し。

 教師になって、初めてわかったことがいくつもあります。

・教壇の上からは内職が非常によく見える。
・宿題写しはバレている。
・カンニングもほとんどバレている。

 子供のころ、バレてないと信じてやってた宿題写しや授業中の読書や、そういったセコい小技は全て見抜かれていて、ただ先生が叱らなかっただけなのではないか…と思うと赤面モノでした。

 私は最初の授業でいつもいいます。

「カンニングはバレるぞ」

 カンニングに関しては、テスト中に絶対に目を離さないことです。特に低学年は。他の生徒の答えを見ようとする生徒は、一旦私の顔を必ず見ます。「見つからないように」するためには、私がヨソを向いてる必要があるからです。…甘いな、チビどもよ。君たちは顔を上げた瞬間、私と目が合ってしまう運命にあるのだ(笑)。

 小テストの時に、せっせと出席簿に何か書き込んでいたり、ぼーっと外を見ているような先生がいますが、それは安心できるクラス以外では危険です。モチベーションの高いクラスは、「カンニングなんてすると本当の力がわからなくて損」と自覚するのでしませんが、ほとんどの子供は「叱られたくない」「褒められたい」思いの方が、モラルに勝ちます。(この辺はまたいずれ)

 私はテストの間中、クラス全体を見回して妙な動きをする子がいる時には、誰とは言わずにクラス全体に「おーい見るなよー」「自分の力でやりやー」と声を掛け続けます。もちろん「わからんかったらしゃあない、できんでもええぞー」と付け加えます。

 ある4年生のクラスを預かって、カンニングがはびこっていたのを直すのに1ヶ月かかりました。カンニングを厳しくチェックしだした瞬間、クラスの漢字テストの成績はガタ落ちしましたが、「先生が変わったせいだ」と怒鳴り込んでくるバカ親にめげずに(笑)何とか取り組む姿勢を変えることができました。

 しつけの上でもめっちゃ大事なことやと思います。嘘をついて認められても何にもならない、「努力の結果」はかけがえのないものだよ、ということを教えているのです。

 余談ですが、こそこそしてる生徒を黒板に向かったまま名指しで叱る先生、昔はすごいなぁと思っていましたが、自分でもできるようになりました。動体視力と聴力がやたら発達するんです(笑)。 

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2004.04.22

エリート教師は使えない。

 唐突ですが、私の学歴を簡単にお話しておきます。

・小学校で大阪教育大学付属池田小を受験。試験に通るが抽選に落ちる。

・公立小で小3の間に2回も転校。(父親が会社を潰したため)

・名古屋の柄の悪い地域で、いじめに耐えつつ小学校時代を過ごす。

・このまま公立に進学すると、いじめが継続するのは確実だが受験するには遅すぎた。そこで中学に上がる際に別の区へ引越し。

・そこがやたらレベルの高い公立中学で、すっかり落ちこぼれに。

・名古屋では公立高校の方がハイレベル。内申が悪すぎて受験もさせてもらえず。偏差値40台の私立高校へ。

・その女子高の特進クラスに入れた。少しがんばれば、元の偏差値が悪い学校のため簡単に一番になれた(これには多少裏話があるが別の機会に)

・高2、高3と学年1位を続けながら、京大を目指して勉強をする。

・しかし最後まで数学が克服できず。センター試験200点中24点と言う自爆。残り教科が良かっただけに、京都府立大に出せば行けたのに、京大に願書を出してしまった。案の定、足切りを食らう。

・「京都の大学で古典を勉強したい」目標は、同志社大に受かったので何とか達成。

・大学に入ってからは歌舞伎とバイトの日々を過ごしてしまった。研究に興味を持ったのは1回生の時だけ。何の資格も取らず。教職も頭をかすめたが「体育がある」というしょぼい理由で取らなかった(ちょっと後悔)。

・中国語が後1点足りなかったら留年というヤバい状況でかろうじて卒業。

・就職活動はせず、バイト先の塾にそのまま入社。

 …つまり何が言いたいかというと、私は「賢くはなかった」ということです。唯一勉強のできた時期が高校の2・3年の時でしたが、なんぼ言っても学校のレベルが今偏差値表を見ても40~43の学校です。学内テストで偏差値110なんてのが出るのですぞ。(平均30点のテストで90点を取るとそうなる)

 ただ、全体にレベルが低くとも大変活気のある学校で(なんせ1学年18クラス・全部女ですし)、先生もユニークな人が多くていい学校でした。私は学校は偏差値ではないと今でも思っています。もし無理してハイレベルな高校に入っていたら、確実に落ちこぼれてやる気を無くしていたはずです。ちょっとやれば褒められた、それが自信につながって伸びた典型的な例だったと思います。私の落ちこぼれ人生は高校で変わった、と言っても過言ではありません。

 ここで大事なのは「私自身が通知表に1.2をつけた落ちこぼれ」だったということです。

 塾で校長をやっていると、たくさんの学生講師を面接して雇います。私は大学名はあまり気にしません。逆に「京大」とか「阪大」でそれも理系だとハラハラします。

 彼らは「わからない子の気持ちがわからない」のです。

 授業をモニターチェックしていると、こういった講師は

・言葉遣いが難しい。
・生徒の理解度を確かめずにどんどん先に行く。
・知識をひけらかす。

 この3点が非常に多く見られます。もちろんエリート大学の講師でも、バランス感覚を持った先生もいます。聞いてみると、一度は落ちこぼれ経験のある先生です。

 授業アンケートに「難しい」「早い」「わからない」と書かれて怒り出すのも、エリート教師に多い。プライドが高いからこちらが改善を要求してもなかなか直らない。あげくに生徒をバカにし出します。

 私もよく「あいつらバカだよ~」と言いますが、それは愛すべき子どもゆえの「おバカ」であって、エリート講師の言うバカは本当に「回路が俺と違うバカ・人種が違うバカ」なのです。

 家庭教師を選ぶ時なども「京大の先生だから」「東大の先生だから」と安心していると、痛い目に会うケースもあります。これらの教師は大学受験の際に雇ってこそ、受験生のモチベーションアップの観点からも効果が高いと思います。学校のレベルができない子をできるようにするには、向いてないことがあります。(全部では無いので、ちゃんとやってるエリート大学の教師の方怒らないように)

 授業中、先生の言ってることがわからない。時間が過ぎるのをノートの隅に落書きをしながら待つ子の気持ち。図形を眺めていても、どこに補助線を引いて解くのかわからない。実は「具体的に書きなさい」の「具体的」の意味を知らない…そんな子どもの気持ちを表情から読み取って、的確に授業や補習の中でで解消してやる。

 教師にとって知識以上に大切なのは、この「思いやる能力」です。また次回にでも、その能力について書いてみたいと思います。

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2004.04.18

国語の授業はバカでもできる。

 国語ほど、塾でいい加減に扱われている教科はありません。特に中学生向けには。まったくシステム化されていない教材をただぼーっと解説(というより本文を読んで答え合わせするだけ)しても、時間は過ぎていくし生徒も何となくやった気になります。

 中学入試はまだしも、普通の塾教師で国語専任という人を探すのは難しい。大体、英語や社会と掛け持ちで「日本語だからできるだろう、解説もあるし」と任されるケースが多いのです。そういった教師が片手間にやるのは、タダの答え合わせにしかならない授業。頭から読んでいって文章の構成をものすごく丁寧に板書する先生もいます。それは「子どものために必要だから」ではなく、「そうでもしないと場が持たないから」という本音もあるのです。

 文章の内容を理解させつつ(その過程で構成や分析が必要なら板書します)、次に問題に取り組む時に役立つことを教えなくてはなりません。私たちが教えるのは「文章に向かって、問題に向かって何をするか」という解き方や思考の流れ、そして日本語の意味。課題の内容がいいものであれば、自分の考えを言わせたりして思考力や記述力に踏み込みます。

 これが、同じ文章に何時間もかけられる学校の国語と根本的に違います。本当の「国語教育」は、学校のやり方の方が正しい。一つの文章に対して細かく分析して作者の意図を味わいつくす。そして自分なりの考えを述べる。書く。健全な批判精神は、学校の国語でぜひ育ててほしいものです。(なのに定期テストでは教師の導く模範解答に落ち着けなければ点が取れないという矛盾はあります)

 たくさんの教師の授業を見てきましたが、塾の国語は本当にバカでもできる。頭から文章を何となく読み、問題の答えを生徒に言わせて、それが間違っていたら訂正するだけの授業。解説の方がまだ詳しいこともあるぐらいです(笑)。

 授業は1回の授業内の組み立て、1週間の学習計画、年間カリキュラムで「どんな力をつけるのか」を計算した上で構築していかなければなりません。なのに、塾がくれるカリキュラムには「小説」とか「論説文」とアバウトにしか書いておらず、ページ数が指定されているだけのことも多いのです。

 子どもに好かれている国語教師には、文章から思いついた雑談しかしていないような人も多いです。子どもが「好き」と言っている先生は、「楽な先生」と同義語のこともあるので要注意!
  

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2004.03.16

塾講師に戻った理由。

 進学塾の社員として勤めて5年目になった時に、自分が「振り出しに戻る」を繰り返していることを悟りました。生徒は毎年卒業して、新しい未来に向かって飛び立ちます。しかし私は次の日から、新小6や新中3に向かって「よっしゃー!これから1年がんばろなー」とカリキュラムと教材の始めに戻ってしまうのです。

 生徒には「夢は叶うぞ、大人って楽しいぞ」と言いながら、ちっとも自分の「夢」を叶えていないことに気がついたわけです。そこで小学生の頃から願っていた「物書き」になる夢を叶えるべく、ライター塾を受けました。策略的に、塾は同じ校舎で3年目だったこともあり、異動や退職も視野に入れて「小6・中3」の担任だけに絞りました。結果として、悔いの無い最後の1年が過ごせたと思います。

 ところが、夢を叶えるにいたっては狂いまくり(笑)。ライター塾でダンナと出会ってしまい、物書きになるはずが、事業を興す羽目になり、起業資金を貯めるために予備校や映像講師を渡り歩き、そして起業。混沌とした2年が過ぎました。

 事業を始めて3年目に「暗黒の6ヶ月」がやってきました。カラオケ業界のみに頼って事業を展開したため、契約が取れず大変苦しい状況に追い込まれたのです。あるイベントに深く関わったも事業悪化の大きな原因になりました。

 会社を潰したくなければ答えはひとつ。
 「2足のわらじ」です(笑)。

 近所の個別指導、中途半端な進学塾、あちこち受けましたが私の時給が高いのもあり、なかなか採用になりませんでした。毎週日曜日になると、新聞の求人欄をくまなく見ていたのはこの頃です。

 最後に、縁あって前の会社からすれば対極にある塾に入ることになりました。久々の中学入試。最初は5年生だけ、という話が6年生もやることになり、久々の受験でしたが結果がよかったので一安心しています。

 その間に、いくつかカラオケ業界に頼らない事業を始めて展開をし、好調になってきたため、塾との両立が厳しくなってきました。(本来あるべき姿なので当然ですが) 3月に入って一旦固定クラスを持つのはやめにしました。

 先日、その塾とは契約を更新してきました。事業は事業ですが、やはり一度知った蜜の味…(笑)。集団の子供の魅力、丁々発止の駆け引き、与えたものを吸い込んでいく成長の瞬間を感じる楽しみは、私にとって最高の時間です。

 代講専門で、社長だけど塾講師、という変な立場で教育に関わっている状況です。下請けで教材やテスト作成もたまにやるので、一生「国語」と「教育」に関わり続けたいと思っています。

 自己紹介的な話はこんなところで、次回以降は国語の授業ノウハウなどをお蔵出ししていきたいと思います。

 

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2004.03.13

塾講師というお仕事

「僕が本当に若かった頃」業種別Blog100選に、自薦してみたら「塾講師」として登録していただきました。Blogの機能を活用した目のつけどころや分類としても面白いなーと思います。こういうのってやっぱり最初に考えた人が偉いですね。

 「業種別」ということで、少し私が教育に関わってきた経歴を書いてみたいと思います。

 まずは学生時代に貧乏で、たくさんの家庭教師をこなしていました。小2から高3まで、テスト前には京都中を走り回っていました。これは教材会社の下につけられたセンターだったので、初心な私は高い教材を売りつけられた家庭に、フォローとして行かされているのも知らずにやっていました。これがまったく使えない教材で、今思えば悪徳な家庭教師センターだった気がします。

 3回生の頃には口コミだけで生徒が来るので、センターをやめてしまいました。家庭教師としての経験が、「家庭と教育」を一緒に考えるくせをつけてくれたと思います。保護者対応に後に生きることになります。

 4回生の時に、それまで経験者しか入れないと思い込んでいた塾が時間講師を募集していました。たまたま「初心者可」だったので試験を受けてみました。あっさりと合格し、すぐに中3を3クラスの国語を全部担当することになりました。おそらく人材不足だったのでしょう(笑)。この頃は、小4の社会なんかも教えていました。

 この時に当たった一番賢いクラス(現在大学を卒業、就職1年目?)にバカにされないよう必死でがんばったのと、一番下のクラスにてこずった経験が1年で私を一気に鍛えました。

 最初は、家庭教師と合わせると月収が40万近くあったので、そのまま非常勤講師を続けて物書きの勉強を続けよう、なんて思ってました。就職活動には興味ゼロでした。しかし、イヤーな予感は漂ってましたがバブルが弾けて父親が会社を潰してしまい(2回目なのでびっくりしなかった)、母親を安心させるためにそのままバイト先に就職することにしました。運命的にも、その知らせを聞いた電話を切ってそのまま塾にかけると試験が次の日だったんです。

 無事に入社試験に通り、内定式で「3年で校長になる!」と社長の前で宣言したとおり、めちゃめちゃがんばって3年目で校長になりました。とは言っても、中間管理職に過ぎません。このあたりは、おもろい話がいっぱいありますのでそのうち書こうと思います。

 ただ言えるのは、私が「国語教師」一筋で来れたのは最初の校がやたら人数の多い校だったお陰です。中3が5クラスあるような塾なので、先生が足りず1教科担当するだけで良かったことが専門性を高めたと思います。また、上司が営業活動よりも教務をやらせてくれたことも大事な要因です。

 教師になった最初の頃は、本当に誰にも負けたくなくて「日本一の国語教師になる!」と豪語していました。若かったと思います(赤面)。そして、300人ぐらい生徒を送り出した時点で気がつきました。「日本一」なんてどうせ誰にも決められないし、大事なのは生徒個人との関わり。いくら先生達の前で模擬授業を上手にやれても、教室の中の子ども達のやり取りから生まれる授業は一期一会であり、伝わらないと。

 そこから、私の目標は「人生で出会う、最高の教師でありたい」になりました。その子が学校や塾で会った先生の中で、忘れられない国語教師でありたい。そのために、一人一人に「本気」で接してきました。自分に本気になってくれる肉親以外の大人の存在は、きっと子どもを変えると信じています。

 だから、怒るとむっちゃ怖い教師でした。中途半端に甘やかしたり、馴れ馴れしい関係を作ったりすることが「本気」ではないんです。「ただ好かれる教師」は最高の教師と同義語ではないと思っていました。

 ま、長くなりましたがこれが私の教育に関わってきた経緯です。まだ続くので、別の機会にでもまとめることにしますm(__)m

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