2006.12.25

塾不要論?

教育再生会議でメンバーが「塾は不要!」と言ったそうな。

 

http://www.asahi.com/national/update/1223/TKY200612230248.html

 

今、ちょうど学校の先生たちと一緒に講座を受けています。

 

今日は明るくて素敵な小学校の先生と一緒に組むワークがあり、そのついでに互いの立場や生徒の様子について、情報交換をしました。

 

お互い、知らないことも多過ぎるし、現場の形はそれぞれです。
子どもたちを包み込むような、複数の人による教育の形があってもいいのになぁ、と思いました。

 

 

さて、この発言をした野依先生は、灘中高を「塾なしで入って卒業した」稀な天才の部類に入ります。
(そりゃノーベル賞学者だもの)

 

 

しかし、灘中に入るのに、塾に行かない子はほとんどいません。
灘中に「公立小学校が教える範囲とレベルで、問題を作ってください」とお願いしてくださいよ、先生。

 

 

たまたま、教育カウンセリングを塾に応用する前に必要な「塾教師の役割」について文章をまとめました。帰宅したら掲載しようと思っています。

 

 

この件に関するアイデアとしては、勝谷さんのコラムの「教育の民営化」が新しい提案のように思います。教育のプロをシャッフルして、チーム医療ならぬ「チーム教育」の時代になってもいいはずです。

 

今日お話をした先生は「私は学校で『勉強のテクニックや知識は塾でも教えてくれるかもしれないけど、“心”は学校でしか教えられない』って言ってます。…気を悪くしないでくださいね」と言われました。でも、本音が聞けるのは嬉しいものです。「色んな立場の生徒がいるからこそ、できること」とも述べていて、そういう心意気がある先生がいるんだ、と思うと安心する。

 

 

私は私で「学校で基本的な学習習慣やしつけができてないと、塾に来られても困るんです」と本音をぶつける。でもそれって本当は家庭の環境も大事よねぇ、と議論を深めていくと、互いの「すべきこと」が見えてきます。

 

 

 私は「知の扉」を開いて豊かな学問の世界に導いてやるのは、時間に余裕がある学校の仕事だと信じていました。過去形なのは、現状は「ゆとり教育で時間がない」「履修漏れ問題」のせいで学校の役割を、私自身が不安視しているためです。こんな時だからこそ、地域ごとで教育関係者が連携すべきです。

 

 

 「塾=悪」は相変わらず、お年寄りの方には根強いイメージのようですが、今のところ、塾が無いと困る生徒がいます。そして業界が1つ消失しますから、当然、経済・労働問題にも発展します。

 

 …… 

 

 理解してほしいなぁ(ため息)。

 


 
 

 

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2006.11.25

私が死ななかった理由。

今、発売中の「読売ウィークリー」の「いじめ総特集」でコメントが掲載されました。
 
 これはたまたま編集部ブログでいじめ体験談を募集していたので、自分が小学校の時に受けたいじめについて送ってみたものです。

 掲載は短いコメントになってしまいましたので、もう少し丁寧にいじめ体験について書いてみようと思います。
長文です。


============


 私が一番ひどいいじめを受けたのは、小学校5~6年の在籍クラスでした。

 そのクラスでは、給食を好きな人たちでグループになって食べることになっていました。私が入っていたグループは7人。そのうち発言力のある4人の機嫌で、残りの3人の誰かが常にいじめのターゲットになっていました。それはある日突然です。「○○無視しよ」というリーダー格の子の一言。

 昨日まで無視されていた子も、チームに復帰できるので参加せざるを得ません。昨日まで同じように無視されていたというのに、次の獲物の「おはよう」に聞こえないふりをするのです。

わざと残りの6人ではしゃいだり、同じシールを分け合ったり。
その間、ターゲットになった子は輪の外で複雑な顔をしてなければなりません。
教師は誰も、この状況に気づいてくれない。


なぜなら、彼女達は巧妙だから。


給食の時間、ターゲットが離れて食事をしていれば、当然先生に怪しまれます。
そこで、給食の時間には「はよ来(こ)やー」と呼び寄せるのです。
その時だけ。先生の視線を意識しながら。

…でも食事の時間の話題には一切入れてもらえない


先生にいじめを訴えるにしても、7人の中だけのことです。
そしてじっと我慢していれば、いつかまたターゲットが替わる。

そう思って耐えていました。


===============

しかし、それではすみませんでした。
ターゲットになる頻度が高かった私は、あるきっかけでクラス全員にいじめられるようになりました。

それは本当にくだらないことです。
私の右頬には、ほくろが4つほどあります。
そして、右目の中にもほくろがあります。

リーダー格のMという女の子が言いだしました。
「イヅツってほくろ多い~これから『ほくろ』って呼ぼう

ね、くだらないでしょ。
33歳にもなって振りかえってみると、お前らアホか、と思います。

でも、クラス中にあっという間に波及しました。
私の右側の頬を見て数を数える男子。
「ほくろ、オレの机さわんな!黒くなるやろ!」と追い払う男子。
席順表の私の場所は、黒く塗りつぶされました。

女子でおとなしめの子だけ、少し遠慮して私を「ほくちゃん」と呼びました。


担任は、きっと「愛称」だと思ったのでしょう。
男勝りの、オバちゃん教師でした。


「ほくろ、ちょっとコレ職員室まで持ってきて」

教室はどっと沸きました。
私を「ほくろ」と呼んでけなすことは公認されたのです。


「ほくろに触ると黒くなる」(つくづく書いててアホらしい)

そう言って、男子は私を毛嫌いするようになりました。
避けて通る。手渡しプリントをグチャグチャにして捨てる。

修学旅行などで男女一緒のグループを作る時、私を擁していると人気のある男子グループと一緒になれない。そこで女子7人チーム内での私の排除も激しくなりました。家庭科の準備室に呼び出され、イスに縛られ「ほくろを消毒してやる」(できるかぁぁっ!!)と頭から塩コショウをかけられました。

髪を伸ばしていてお嬢様風の格好をした、男子に人気のあるKという女の子も、信じられないぐらい意地悪な顔ができるのです。平気で私の家に遊びに来て、おやつをたくさん出させて、私の母親にはニコニコしてみせる裏で。


今でも忘れない、辛い午後があります。
その日は、珍しく7人組のリーダー格・Mの家に呼ばれました。

「みんなで遊ぼう。3時に来てね」

嬉しくって、うれしくって、おやつを持って出かけました。


 ピンポン、とベルを押します。

 くすくすくす…

 中から、笑い声は聞こえます。
 でも、だれも出てきません。


 変だな、いるのに。

 またピンポン、と鳴らします。
 くすくす。

 「こんにちは!」とドアを叩きます。
 くすくすくすくす…

 決して、だれも、出てきません。


 Mの家は一階でした。窓側の方で「来たんだけど…いるんでしょ?」と声を掛けました。人の気配がします。でも、窓を開けて招き入れてはくれません。ずーーーーっと。

 何時間経ったか覚えていません。
 半泣きで「もう帰る!」と窓に叫んで、帰ろうとしたその時。

 後ろで窓の開く音がし、いつものリーダー達が顔を出しました。


 「もーずーっと待っとったのにー。何で来んのー」※名古屋弁

 ケラケラ笑って、私に声を掛けました。


 彼女たちに向かって「ずっといたくせに!何度もピンポンした!」と泣いて怒れば怒るほど、顔を見合わせてゲラゲラ笑い、あげくに「嘘つくな、ほくろ!」とののしられた。いたのに。何度も何度も呼んだのに。

 …死にたかった。
 


 これだけじゃない。

 物を盗まれた日。教科書に落書きされた日。グループ内でこっそり打ち明けた好きな人をクラス中にバラされ、当の男子に蹴られた日。二人三脚の相手の男子が、どうしても肩を組むのを嫌がり、私を引きずってゴールした日。途中で転び、スリ傷だらけになって体操服が砂にまみれた。


 たくさんの嫌なことがあった。
 家でも、継母に何かと妹と比べられ「あんたはトロい」「何もできない子やね」と叱られてばかり。

 死にたい、死にたい。
 死ねば楽になる。
  
 
 でも、雑誌のコメントに書いたとおり。
 私はたった一人の人のお陰で死なずに済んだ。


 おじいちゃん。

 
 継母の父だから、血はつながっていない。
 でも、私は彼に愛されているという確信を持っていた。
 死んだら、大好きなおじいちゃんも死んじゃうぐらい悲しむに違いない、と。

 
 大人になった今も、辛い時には亡くなったおじいちゃんの声がする。

 「お前が初孫だけぇ。お前が一番かわいいだけぇ
 
 鳥取弁で、まっすぐ語られる愛情。
 この言葉があったから、私は死ねなかった。
 次の休みに、おじいちゃんに会うために。
 坂の下で、孫が乗った車が着くのを待ちわびているおじいちゃんのために。

 私は「生きてなきゃダメだ」と思っていた。


===============

 いじめで死なせないために。
 周りの大人はきちんと声に出して、言葉で愛情を伝えてほしい
 「言わなくても伝わってるはず」なんて嘘だ。
 

 いじめで死なないために。
 「いじめ」なんて、大人になって振り返れば本当にくだらなくてバカみたいなことだから。  
 そんな頭の悪いヤツラのために、たった一度しかない「生きるチャンス」を無駄にしないで


 たまたま地球が太陽からちょうどいい距離にあって、
 たまたま環境が整って文明を持てる人間が誕生して、
 たまたま戦争も飢餓も無い(今のところは)豊かな国に生まれて。

 こんな驚異の巡り合わせは、めったにない。

 だから無駄にしないで。
 生まれ変わりなんて絶対にない。

 ぷつん、と電源が切れてしまってそれっきり。
 死んだ後に困惑するいじめっ子の姿も、慌てる教師の姿も見ることはできない。
 そんなの、死に損だ


 生きて、生きて、生き抜く。
 
 失恋だって苦しい、失業だって苦しい。
 いじめじゃなくても苦しいことはいっぱいある。

 でも「この世の終わり」と思った苦しいことも、不思議と人は忘れる。
 そしてその分、強くなる。
 

 自分の人生は、他人の笑いやストレス解消のエサになるためにあるんじゃない
 ちゃんと声に出して訴えて、周りの人に助けてもらって、「自分の人生」を取り戻してほしい。
 
 
 いじめで死ぬってことは、大嫌いなヤツラに人生を捧げることと一緒。
 本当に惨めで、もったいなさ過ぎる。


 生きて、生きて、大人になろう
 大人って楽しい。辛いこともあるけれど、楽しい。
 
   
 今、33歳になるけれど、12歳の私に「死なずにいてくれてありがとう」と思える。
 1日ずつ乗り越えて行けば、ちゃんと時間が経って大人になるから。


 人生を踏みにじられたまま、死なないで。

 

 
  

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2006.10.19

教育再生会議について。

 NHK関西でのテレビ出演は「教育パパ」をテーマにした特集へのコメントでした。私が収入の主軸を担っていることもあり「父親の役割・母親の役割」を分けること自体をナンセンスだと思っています。その個人的な意見は横に置いておいて、以下の3つを伝えるように努めました。

 

 

(1)子どもの居場所を奪うほど追い詰めない
(2)自分の子ども時代を忘れず共感する
(3)受験の結果でなく過程を評価する

 

 

 私は中学入試に全面賛成はできませんが、取り組まざるを得ないケースがあることも理解しており、それでお金をいただいてきた塾側の人間でもあります。

 

 だから必死になる保護者の気持ちもわかります。それを踏まえた上で、以上の3点は忘れずに取り組んでもらいたい、と願っています。
 

 

※私の受験に対する考え方は、バックナンバーでご理解いただければ幸いです。
http://www.kuroneko-kokugo.com/study.htm

 

 

============================

 

 
 さて、今日は「教育再生会議」について。

 

 とりあえず、ネタだと信じたかった「『女王の教室』主演の天海祐希さんに、教育再生会議への参加を打診」が本当だったと知って、頭がクラクラしました。情けない…プロデューサーや脚本家ならまだしも…断られて当然でしょう。ドラマの世界と現実の区別もつかないなんて。

 

 

 私が一番注目しているのは「京都市教育委員会の教育長」がメンバーに入っていることです。「堀川の奇跡」…税金でアホみたいにゴージャスな学校を建てて、塾や中学校に必死で営業をかけて優秀な生徒を集めて作った新設コース。堀川・嵯峨野の特別コース立ち上げのころ、私は塾の現場にいました。

 

 堀川対策の小論文講座を作るなど手探りの対策をしていましたが、結局は難度の高い問題をクリアできる「塾でお金をかけて勉強をした子」が受かります。確かに、堀川高校は3年後に劇的な進学実績を出しました。そのため、ますます志望者の競争は激化。進学塾はこぞって対策コースを売り物にします。その一方で、京都の一般の公立高校は相変わらず、低迷している。

 

 

 自力で学校の勉強をきちんとやっていても、公立エリート校の恩恵は受けられない

 

 
 ただしこの学校に関しては、私が現場やその後の卒業生からの話で少し偏って見ている面もあります。現在、色々と取材をして情報を集約しているところです。教育長のインタビューの内容を読むと、建設的ですし再生の可能性を感じます。

 

 

 しかし現場では、本当に京都市の改革を「成功」と思っているのか。

 

 

 先月会った塾講師は、中高一貫校も含めて公立が受験生を集める状況に対して「今まで無関係だった層まで受験に参加して、塾の食い物にされている」と憤り、京都市内の私立高校の理事長は「京都市は少子化に対して公立の統合などで私立を守る気は無い。むしろ優秀な生徒を奪ってより私学の生き残りを妨げている」と嘆いていました。

 

 
 エリート校は必要です。法律・医学・科学・ITなどのジャンルはハイレベルの学力が無ければ進化させることができない。そして税金を払っている国民が普通の教育を受けて、自活できるように育てる必要もあります。LD/ADHDの子どものサポートも課題です。音楽もスポーツも情操教育も必要でしょう。これらの才能を伸ばす子どももいます。起業家教育や職育もテーマになります。私自身、社会という大海で仕事をもらう苦しみを日々感じています。そこでは学歴は一切関係ありません。しかしコミュニケーション能力やマネジメント能力が必要です。

 

 

 教育には色んな側面があります。
 だからそれぞれのパーツに分けて専門家がチームを作る必要がある。

 

 ただ、教育再生会議のメンバーの顔ぶれを見ると全部「ごった煮」になっています。
 そうなると、自ずと課題に優先順位がつけられてしまう。

 

 公立エリート校の増殖か?
 公立教育の底上げか?
 道徳教育?キャリア教育? 
 

 

 「会議の内容はいちいち公開しない」とのことですが、見守る側も再生会議を全否定をするつもりで見ているわけではありません(メンバー決めの過程で失望しかかってるのは事実ですが)。とにかく現状を見て、具体的に動いてほしい。

 

 塾であれ学校であれ、現場の教師は目の前の子どもの指導で精一杯ですし、それが上手くいけば安心してしまう側面もある。だからこそ現場の意見を集約して議論したり、世に問うたりする人たちは必要。

 

 

 だから「現場の代理会議」であってほしい。議事録を公開して、その度に保護者・教師・教育産業従事者など現場の意見をネットなどで集約してはどうだろうかと思います。

 

 

 初回の教育再生会議・新聞記事はこちら
 http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20061019ur02.htm

 

 
 こういった根本的な教育の議論(特に教育困難校についてなど)は、取材をしても発表できる場がないので、ここで時々書いてみたいと思います。教師や塾関係者・保護者や生徒を問わず、ぜひ情報やご意見をいただければ幸いです。

 

 

 

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「日経Kids+」11月号「最高の家庭学習」でここでご紹介した漢字&しりとりゲームが紹介されました。完全版は以下にあります。ぜひやってみてください。

 

 

子どもと遊ぶ!漢字ゲーム「熟語を作ろう」
http://toto.cocolog-nifty.com/kokugo/2003/12/post_2.html

 

子どもと遊ぶ!漢字ゲーム「漢字のかくれんぼ」
http://toto.cocolog-nifty.com/kokugo/2004/07/post.html

 

しりとりをしよう!
http://toto.cocolog-nifty.com/kokugo/2004/08/post_4.html

 

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2006.10.07

子どもに見せたくない雑誌。

最初に近況報告など…
 
来週の火曜日、テレビに出演します。

10/10(火) NHK関西「もっともっと関西」17:15~18:00
教育に関する特集に呼んでいただきました。

ずーっとスタジオで生出演なので、粗相が無いように祈っています。
(なんか料理食べてコメントするなんて場面もあるようで)
興味のある方はチェックしてみてくださいm(__)m

本家のホームページも少し手を入れる予定です。
「生きるための国語力」をテーマに、活動を広げていこうと準備をしています。


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 私の現在の敵は「プレジデント・ファミリー」

 毎回毎回、背筋をイヤーな気分にさせる特集を組んでくれる。前の号の「嫁に行ける娘、行けない娘」なんて「大きなお世話じゃぁぁ!!」と叫びたくなった。でもそれだけ教育関係者を「嫌な気分」にさせるってことは、ある意味、雑誌としては成功している。えぇ、素直に買ってますよ。


 今月号の特集は「担任教師の能力判定」

 この雑誌、頼むからこっそり保護者が買って子どもの目に触れないところで読んで欲しい。親子が肩並べて読んでると思うと、本当にぞっとする。


 親「あんたんとこの先生、当てはまる?」
 子「うん、これに書いてあるみたいなダメ先生だよ」

 
 その時点で、子どもは教師に対する畏怖や敬意をすっかり喪失してしまう。親やメディアという味方まで身に着けて、自分が努力をしない言い訳を「教師のせい」にしだす。

 
 確かに、力量が今ひとつの教師はいる。

 そしてほぼ毎日のようにわいせつで捕まる教師がいる。公立の教師が多い(仮に私立で似た事件があっても、世に出にくい)。親の危惧がわからないでもない。教師の質に対する、外部のチェックや査定は必要だと思う。

 雑誌には、熱心な保護者が公立の学校に働きかけて改善した例が載っていた。先日も地方にセミナーに行った際、こんな話を年配の方に聞いた。30年も前の話とのこと。


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 新人の先生が地元の中学に来る。数年経って、馴染んだかなと思うころに転勤になる。そういうことが数回続いて、どうやらウチの地元の中学は「新人養成所」のような扱いを受けていることがわかった。地方にとって、教育は地域の未来を決める重要な要素だ。そこで教育委員会に働きかけて、厳しい先生を送ってもらった。何年も子ども達を指導してくれて、その時期から進学率も上がって地元に優秀な人材が育つようになった。

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 要約するとこんな話で、地方の小さな町であっても「地域を支える人材の育成」を意識している人々がいるのだと感心した。

 学校全体や地域のことまで考えて動く親たちがいること、それは悪くない。何人もが同意見であれば、きっとその学校や教師には問題点があるのだ。しかし「○○先生を変えてください」と押し掛けてくる親をかわし続けてきた、塾の校長経験から言えることがある。


 頼むから、子どもを巻き込まないで。

 仮に子どもが家で「○○先生、わかりにくい」と言っていても、簡単に同調してはいけない。その場では「どこがわからないの?」と具体的に質問を投げ、一度は個人的に質問に行かせることだ。子どもは単純に「好き・嫌い」で判断していることも多い。

 また保護者懇談のついでに、学校の先生の悪口を言う保護者は多い。前に書いたけれど、塾教師と学校教師は相容れない部分があるので同調したくなる内容もある。それでも真実は教室の中に入ってみないとわからないものだ。


 私がいつも言うことがある。

 
 「色んな大人に出会うのも勉強です」


 苦手な人、変わった人、考え方の違う人とのぶつかり合いの中で成長しないと、会社に入った時に容赦なく出会う「合わない人」とのコミュニケーションに失敗して潰れてしまう。好きな人、自分に優しい人で周りを固め、真綿で包んだまま大人にさせるなんて、危険極まりないと思っている。


 思い出してみると、どの学校にも苦手な先生はいた。
 それも今から思えば貴重な「人間を学ぶ機会」になっている。


 あまりにも指導力不足なのはもちろん問題だが、学校であれ塾であれ、家庭で子どもと一緒に教師をバカにしてはいけない。教師の指導力・統率力を奪っている原因の一つに、マスコミ及び保護者が子どもに話す「学校不信・教師不信」も必ずある。


 だから「おたくの担任、大丈夫?」と言った煽りは本当に迷惑。


 内容を読み込むと、きちんと教師側にも立っている部分もあり具体的で役立つ部分もある。しかし、この広告や表紙が子どもの目に触れることそのものが、教師の地位を下げる。子ども達に「できない言い訳」を与える。さらに自分を導く人に敬意を払わない、そして大人に敬意を払わない人間に育つ。


 作る側は「売れることで世の中に問題提起をしている。だからインパクトのあるコピーで惹きつける。大事なことは読んでもらえればわかってもらえる」と言うだろう。

 でも、読者には「自分に都合よく解釈する編集機能」がついている。子どもに説教をしても、9割の説教より「褒めた1割分」しか覚えていないみたいに。子どもの成績が伸びないのに苛立つ親が読んだら、ダメ教師の事例だけがすーっと浮き上がって頭に入ってくる。


 雑誌側は売れればオッケー。
 だからこそ、受け取る側の読解力と良識が問われる雑誌だと思う。


=====================

 うーん正直に言うと、とにかくこの雑誌は苦手。
 そうだな、美容院で渡された「VERY」をイヤイヤ読んでるような気分。
 
=======================
  
 国語や教育に関する質問もお寄せ下さい。保護者・生徒・講師の方でも構いません。
 ただし、匿名にした上でこのブログで回答をさせていただくこともあります。ご了承下さい。
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2006.09.22

「自衛」を学ぶ場所。

今日も過去日記から、掲載します。
レベルの高い進学塾で教えはじめたころの体験に、加筆しています。

 

 

===================

 

 過去日記より(2003年ごろ)

 

 

 1人、4年生で漢字が嫌い、カンニングする、テストの直しの宿題はやってこないという男の子がいる。あんまりひどいんで「今日から『○○の漢字強化キャンペーン』や」と言って、漢字の勉強の仕方から教えた。

 

 
※漢字の勉強法はこちら↓

 

「漢字学習のツボ(1)~短文で覚えよう!」 「漢字学習のツボ(2)~でっかく書こう!」  
 テストの直しに関しては「○○がやってこなかったら、全員の宿題をちょっと増やす。みんなで○○を応援して宿題をやってきてもらおう!」とクラスを巻き込む。「えーー」とは口では言いながらも、彼に向かって「信じてるぞー」「やってこいよー」「がんばれ!」とクラスの子達が声をかける。まだ4年生だからか、素直だ。

 

 

 当の本人は、ただ宿題をやってこないからプレッシャーをかけられてるだけなんだけど、「絶対やってくるし!」とみんなに大いばりで答えている。注目されるのが嬉しいのだ。別に自慢するところじゃないぞーと思いながらも、彼の「やる気エンジン」にぽっと火がついたのを感じる。

 

 

 この方法は、下手なやり方をするとクレームになる。だからその子の性格を見極めた上でやらないとダメだ。もちろん、周りの巻き込まれる子どもたちの反応も見ながら。そう書いていても、今もちょっとだけ私は○○のやクラスの親からクレームが来ないか心配だ。

 

 
 子供の話を神経質に受け取って、怒鳴り込んでくる保護者も相変わらず多い。
 少子化なのもあるだろうがトータルして「過干渉」だと思う。

 

 

 生徒が「他所の人」であり、ましてや「先生」である私に、初回の授業からタメ口で「紙忘れた。ちょうだい」と言えてしまう。あぁ、家ではこうやって物を頼んだらホイホイ出てくるんだな。小さい暴君よ。

 

 

 そしてすぐに「寒い」「暑い」

 

 
 環境に対しても、とにかく主張だけをする。こちらも気遣って切ったりつけたり調節しているが、「先生、寒い」とだけ言って、自分の言うとおりになると信じて疑わない女の子が1人いる。それもほぼ毎回。「私が寒い思いをしたままなんてありえない」という、妙にまっすぐな視線が悩ましい。

 

 

 体感温度は全ての子に共通なものではないので、自衛もして欲しい。それなのに、子どもが家で「塾でクーラーが寒い」と言えば、保護者からクレームか来る。

 

 

 そうじゃないやろ?全員の欲求に合わせることができないのは、オフィスや飲食店でもよくあること。「自衛」ってことも教えておかないと。私は言う。

 

 

 「あなただけに合わせられないから、上着も持ってきておいてね」

 

 

 これを読んで「ひどい先生だ」と思う保護者もいるかもしれない。

 

 しかし、そう思う人はやっぱり「我が子を中心に」しか物事を考えられていない。そして「自分さえよければ」の思いが子どもにも伝わってしまっている。子どもはどこまでも「自分の快適」を追求して、傲慢に振舞う。

 

 

 真面目な顔で「先生、クーラーの位置を変えて。そのぐらいのお金あるやろ」と受付でゴネていた子も見た。
 
 暗い気分になる。
 

 

 

 対策を自ら取ることも、大人になるためには大事なこと。環境が合わなければ、自分で変える。

 

 

 病気になるほどの寒暖差はマズいが、対策を一緒に考えるのも勉強だと思う。

 

 

 

===================
  
 そこそこ経済力のある家庭が通わせている進学塾だったせいか、こういう「プチ王様・女王様」が多かった気がします。保護者にも「塾に言ってやった」とクレームを自慢する保護者がいますが、子どもはその空気を感じ取って教師をバカにするようになり、授業内容が素直に入っていかなくなります。

 

 クレームではなくて「対策のための質問」をすればいいのです。

 

 先生に他の子の反応を聞く。
 席の場所のせいかを聞く。
 
 そうすれば「席替えを申し出る」や「上着を持っていく」などの対策がわかります。先生もこうやって聴かれれば、もし気づいていなかった場合は、その子の席や空調について考えてくれるはずです。
 

 
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2006.07.17

「一流校」ってナニ?

「AERA with Kids」と週刊朝日の増刊号「一流校に入る」(P92~97)で、関西の私立中の分類を行い記事にまとめる仕事をしました。

 

 分類方法やコメントについて、各校の方や塾関係者の方などの異論はあろうかと思います。単純なくくりや対立構造で分類できるほど、学校の持つ顔は単純ではありませんが便宜上の分類を行いました。

 

 この仕事を通して感じたことをまとめてみます。

 

 

 

 

◆子どもは親の作品じゃない

 

 

 現在、教育・受験がらみの雑誌は父親をターゲットに拡大しています。

 

Photo

 

 

 ※「プレジデント Family」はお腹いっぱいで買ってない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今回の仕事は、雑誌のタイトルを知らず、送られてきた表紙を見て絶句。

 

 

「一流校に入る」
なんて生々しいタイトル。

 

 私が子供だったら、こんなのが家に置いてあったらプレッシャーで潰れます(笑)。

 

 私の書いた部分は偏差値だけによらない私立の分類・分析なので、雑誌の作り手は売るためのタイトルで手に取らせ、中身にはちゃんと中学入試絶対論を考え直すような記事も含まれています(特に「親が知らない『私立の常識』」は必読)。情操教育やコミュニケーションの助けになる、有意義な記事も多く含まれます。

 

 占いのいい結果だけを信じるように、「子どもを勝ち組にする方法」といった甘美な響きを持つ記事だけを読んで、我が子にもできると単純に思いこまないでほしい。受験をするのは子供です。

 

 
 正直なところ、これらの雑誌のいくつかのページで私は本当に胃からすっぱいものが上がってきました。大きな声で言いたい。

 

 「子どもはあんたたちの作品じゃない!」

 

 数々の、親のプレッシャーで潰れそうになっていた子どもたちを思い出します。私の前で「受験やめたい」と号泣した子ども、受験が近づくにつれチックの症状がひどく出てきた子ども、ストレスを暴言やいじめで解消する子ども。

 

 

 残念ながら、情熱を注いでも思いどおりの作品に仕上がらないことが多いもの。期待しないぐらいがちょうどいい。昔からよく「育て上げる」という言葉がありますが、社会人としてやっていける自立心と思いやりを持った大人にさえなってくれれば十分だと思うのです。

 

 

 少ない子どもに対して、寄ってたかって構い過ぎ、期待し過ぎ
 もうちょっと抱きしめた腕をゆるめて、「遊び」の部分を作ってやってほしい。

 

 それは甘やかす、とは違う。

 

 最低限のしつけをして、どーんと構える「親のふところ」をもう少し広げてほしいのです。

 

 

 

 

◆「母性信仰」で教育を語るな

 

 

 こういうことを書いていると「子どもを産んでないからわからないのよ」と言う母親達に会います。私に向かって「教育をやっているなら産まないと、説得力が無いじゃない」と言った教育カウンセラーにも会いました。

 

 
 優れた教師には男性も多くいますし、若い女性もたくさんいます。特に塾講師はハードな仕事のため、他人の子どもを構っているうちに結婚・出産の機会を逸するなんて笑えない話も多く聴きます。「母性」を振りかざさないと教育が成り立たないなら、今の教育現場の人材はいなくなります。

 

 

 私が「母性」になぜ全く信頼を置いていないか。
 答えは簡単です。
 
 私は「産みの親の顔を知らない」からです。

 

 私が妊娠中、母親はずっと中絶を希望していたそうです。
 (そんな話を小学生に聴かせた、継母もどうかと思うけれど)
 そして産まれてすぐ、乳飲み児である私を置いて、3歳上の姉を連れて家を出ました。

 

 父親が帰ると、私がぽつんと部屋で転がっていたそうです。
 そして父親は現在の母親と再婚しました。
 小2で事実を知るまで、私は無邪気に両親は自分の親だと思っていたほどです。

 

 育ての母親は色々ありましたが、私にとって大事な人です。
 産みの母親は私に会いに来たこともありません。
 「産んだ人の母性」に満たされなくても、私は大人になれた。
 
 「お腹を痛めて産む」ことにどれほどの価値があるのか。重さがあるのか。昨今の虐待のニュースを聞いても思います。

 

 

 「母性」なんていう、不確かなものに頼っていては教育はできない。
 ただ目の前の子どもに、向き合うだけです。
 彼らは母親の付属物でも、父親のプライドを満たすものでも、何でもない一個の人格です。

 

 

 少々頼りなくて、すぐに形を変えるやわらかなものに見えて、
 あるきっかけで、ぎゅっと硬く鋭いカタマリになってしまう。

 

 教師である私の目の前に、毎年1つや2つはそんな“カタマリ”が差し出されました。
 そして私自身もそうだった。

 

 預かったカタマリの尖ったところを認めながら、少しずつほぐしてやる。私にその仕事をしてくれたのは、高校の先生達でした。

 

 

 

 

◆本当の「一流校」とは

 

 

 私が通っていたのは、桜花学園という名古屋の私立女子高です。当時は名古屋短期大学付属高校と言って、公立高校のすべり止め。
 未だに偏差値も合格実績も目覚しい、とは言い難い学校ですが、
 私はここでの3年間で、自分の人生を取り戻しました。

 

 

 心を開かず本の世界にこもりがちの私を、3年間担任だった温厚な英語教師が見守ってくれた。現代文の教師は私に「井筒(旧姓)は物書きになれる、だから書き続けなさい」と言ってコンクールに作品を出してくれた。三島由紀夫や井上靖の担当編集者という異色の経歴を持つ日本史教師は、ちゃんと私を大人扱いして知識を授けてくれた。

 

 
 ……教育は、親にできないことを可能にします
 

 

 自分の子どもに対して、複数の視点で見守ってくれ、真剣に考えてくれる学校。学校全体で教師の質を高めている学校が、真の「一流校」だと思います。教師が起こす事件が絶えないのを見ていると、「学校レベルで教師の意識と質が高い」学校を維持していれば、十分にどの私立も公立も「がんばっている」と言える気がします。

 

 

 

 ただ、矛盾するように聴こえるかもしれませんが、
 私なりの「進学校必要論」があります。

 

 それはまた日を改めて書いてみたいと思います。

 

 

 

 

《余談》

 

 今回の取材で関西の全ての私立中高のHPを見ました。

 

 開ける度にびっくり!
 生徒集めやブランドイメージの構築の上で「論外」のサイトにたくさん出会いました。

 

 チラシや広告に金を掛けても、あんなダサい、使いにくい、ホームページではアクセスした途端に生徒候補者から逃げられます。塾教師としても生徒や保護者に勧める気になれません。

 

 どことは言いませんが、20校ぐらいリストアップしています。
 

 

 

 

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2006.06.12

私立中高一貫・卒業生との会話

またご無沙汰してしまいましたm(__)m

前回の記事で「昔の生徒へ」呼びかけるメッセージを書いたところ、7年前の生徒からメールをもらいました。F君というのですが、彼は小学校5年~6年の夏まで私の指導を受けて転勤で東京に引越し、都内の男子進学校に合格した生徒です。

メールの中に、今年の大学受験で第一志望に受からなかったこと、そして受かっていた大学もいい大学ではあり周りの薦めはあったけれど、どうしても納得がいかなかったため浪人していることが書いてありました。

私の彼の印象は、おもろいこと大好きな小学生男子に過ぎず、周りに流されない意志を持ったタイプには見えませんでした。そりゃそうだ、たったの12歳だもの(笑)。

今は19歳。1ヶ月ほど前に東京出張の機会に会ってきました。本人の了承を得ていますので、その時の話をまとめてみたいと思います。


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私「私立でそこそこの進学校やけど、塾に行ってる子っていた?」

F「高2まではあまりいないんですが、デキるヤツは高3ぐらいから塾や予備校に行ってました。学校も補習はありましたし、面倒見はよかったと思います」


私「でも、中でも意欲のある子と無い子の差は6年間で開いていくでしょ」

F「そうですねー…仲良かった友達で退学した子もいたし、2極化は高校生になるぐらいから明らかに始まってきています」

私「君はどうやったん(笑)」
F「えーっと、ちょっと不真面目なところもあり…でも成績は一応気にしてました(笑)」


私「友達には恵まれたみたいやね」
F「ずーっと男ばっかりなのもあるし、面白いヤツが多い。賢い子が多いので、入ってから自分がぼやぁっと生きていたことを思い知らされました…後は、個性的な先生も多かったです」


私「私立って受験日程の変化に影響されて、学年によってムラがあると思うねんけど、中にいてどうやった?」

F「あー、ありますね。レベルに差ができるというか、トラブルの量に差がある気がします。でもそれって『学年主任』の力が大きいと思ってました」

私「そんなに影響力あるの?」

F「あります。たとえば、ある学年の学年主任やったら何とか更正して学校に残してやりたいと思う生徒でも、他の学年主任はばっさり退学にすることがある。生徒から観ている印象なんでわからない部分もありますが、生徒に熱い先生が主任かどうかで学年全体のムードに影響があると思います」

私「塾の先生は入試担当ぐらいにしか会わないから、そういう生徒がリアルに感じている空気ってわからないんだよね」

F「デキるヤツなんかは、あまり影響受けないですけど、学校に入れば何とかなると思ってる子には辛いかも」

私「ところで、君は浪人してるワケなんだけど(笑)。私から見たら、十分ええ大学やと思うねん。何で行かんかったの?」

F「たまたま試験の前に、僕が東京に行く前に先生がノートに書いてくれた言葉が出てきたんです。『あーもっと勉強しといたらよかった…って試験会場で思う入試は最低や!やりきって“後悔しない”受験をしろ!』みたいな言葉。それ読んだとき、中学受験の時は『やりきった!』と思えたけど、今回はそうじゃないなぁと思ってたら…案の定、落ちました。まだ全力じゃなかったんで、必死でやります。学部もこの機会に考え直しています」

私「そうか…それにしても、Fがこんなにしっかり『自分の意志』と言葉を持っているとは…お父さんやお母さんに特に反抗もしないで『ハゲネタ』で授業中ゲラゲラ笑ってただけやったのに(涙)。きっと、いい6年間やったんやね」

F「はい。出会いと『考える力』をもらった気がします」

私「ちょっと話しているだけでそれは十分わかるよ。私が今、教師モードじゃないから。でも最後に、今度は後悔しない受験をよろしく(笑)」

F「がんばります!」


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 最近、学校評価のお仕事をよくいただくのですが「現役合格率」などの数字では絶対に現れない、生の教育の成果を感じました。彼自身の素直な資質がプラスに働いた面もあったと思います。思春期の7年間の重みを感じた再会でした。


 余談ながら、彼は古いロックが好きということで妙に話が合ってしまい(私も夫の影響でロック好き)、当時ビシバシ叱ってた生徒と趣味の話で情報交換できる日が来るとは思っていませんでした。年を取るのも悪くないものです。


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 〔元・生徒との会話〕

私 「私な、君たちを教えていたころに寝坊して日曜日の朝に塾を開けられへんかったこと、今でも夢に見て冷や汗出るねん」

F「めっちゃ覚えてる!」

私「うわぁ、覚えてんねや…あれ1回だけやねん、ほんまに。慌てて原チャ飛ばしていって、塾の前にたまってる君たちの姿を見た瞬間、まだ忘れられへん」

F「あれ、先生って事故で遅れたって話やったけど」

私「ごめん…事故じゃなく寝坊……」

F「それはひどい(笑)」

私の塾校長時代・最大の失敗を覚えている貴重な生徒の1人でした。
そして未だに、私は朝が苦手です…。

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2006.02.10

悩みを言語化しよう。

 朝日新聞のニュースより。

 

学習指導要領、「言葉の力」柱に 全面改訂へ文科省原案
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200602080564.html

 

 

 私は折りに触れて「国語を学ぶ意義」をこう子どもに伝えます。

 

 「言語化できる悩みは解決できる。モヤモヤと何となく悩んで、凹んで、閉じこもるな。『あーナンでこんなにむかつくんだろう?』『イライラするんだろう?』と紙に書いてでもいいから原因を探って行けばいい。そうすれば『自分がこういう目に合っていて腹が立つから』『相手が自分のこういう気持ちをわかってくれないから』という答えが見えてくる。人に自分の気持ちを伝えるためにも言葉を増やせ」

 

 朝起きて、起きた瞬間に「わ、もうこんな時間や」「今日はナニをしよう?」と頭で何かを思います。思考は言語で成り立っています。だから、とにかく言葉を増やして欲しい。

 

 国語の勉強をする、というのは「思考を育てるための栄養を与える」ということだと思っています。

 

 ただ、私はここで「教師は完ぺきに美しい日本語を使わなければいけない」とは思っていません。掲載している実況中継などでもおわかりのように、美しく正しい日本語だけで授業を成立させること以上に「脳と心に伝わる授業」を重視しています。まずは聴いてもらえなければ、始まらない。しゃべりを子どものレベルに合わせて駆使するのも、教師の技術の一つです。

 

 清濁合わせてメディアや子ども達の間に氾濫する日本語に目を配りつつ、「モヤモヤとした気分」を言葉にして吐き出す術(すべ)を教えてやりたいと思っています。

 

 そして情報を選び取り、多角的に見た上で自分の意見を明確に持ち、そして持論を他人の意見と交換しながら深められる。そんな人材が、社会でも家庭でも大事にされ、必要とされるはず。

 

 私もストレスを溜めやすい人間ですが、いつも手元にノートを1冊置いてます。
 モヤモヤする時は、連想式に原因を言葉にして書いてみます。
 「こうすれば解決する」とわかったら、それ以上悩む時間が不毛です。

 

 もちろん、感情的に納得が行かない部分はあるのですが、解決のための行動に出ると必ず次の結果につながります。じっと悩んでいても変化は起きない

 

 私が国語を教えるのは、もちろん受験を乗り越えられるタフな人材育成という側面もありますが、これから出会うたくさんの理不尽なことや悩みに対処できる「言葉の力」を与えてやりたいと願っている面もあります。

 

 だからこそ今回の指導要領改訂が、上っ面の学力養成だけでなく「生きるための言葉の力」につながることを切望しています。

 

 

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〔本日の会話〕

 

私 「『偏食』という言葉の『偏』という字に送り仮名つけて、訓読みできる人」

 

生徒1「編む(あむ)」
私「似てるけど、惜しい!そりゃ糸へんや、これは『にんべん』。」

 

生徒2 「偏る(かたよる)?」
私 「そうそう。だから『偏食』ってのは好きなものばっかり『偏って食べる』という意味やな。何か『これが大好物でよく食べる』ってもんあるか?」

 

生徒3 「高野豆腐!」
私 「し、渋過ぎる…他の子は『高野豆腐』って知ってんの?」
生徒4 「『ゴーヤー豆腐』 !?苦そう!」
私 「ま、まずそう。君、聞きまちがえてるで」

 

 「ウチの子、偏食で高野豆腐ばっかり食べてんのよ」と言ってみると、健康的に聴こえるから不思議。

 

  
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2006.02.04

定期テストを突破せよ!

「大阪府教育委員会が、新高1にノートの取りかたから指導」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060202-00000152-kyodo-soci
 
 このニュースを読んで「甘やかしとる!」と思うか、「しょうがないなー」と思うか。私は公立改革こそが、日本の未来を作ると信じていますので「自立学習の支援なら、税金を投入する価値がある」と思っています。

 昨年の秋から、進学塾で中1と中2を教えています。そこは入塾試験が難しく、入ってくる生徒はクラスのトップレベル。その中で、つくづく思うことがあります。
 
 「定期テストを乗り切れるかどうかが、子どもの将来を決める」と。

 極論に聴こえるかもしれませんが、「豊かな才能」「生まれつきの個性」で抜きん出てそれが食う仕事になる、という人材は非常に少ないものです。とてつもない自信家で、早いうちから「自分は他の子と違う、テストなんかかったるい」と学校を辞めて起業でもして、成功する。むしろそんなタフな子どもが出てくるのも面白い。

 しかし、「テストかったるい」「ウザい」という理由だけで、同じ年齢の子ども達がこなしている定期テストを乗り切れない子どもが、まともな職に就けるとは思えません。

 まずは親に食わせてもらっているうちは、勉強が子どもの仕事です。

 数学が何の役に立つ?
 古典なんていつ使う?
 化学なんて興味ない。

 …それがどうした?

 与えられた課題に対し、期日前に範囲が示される。みんながそこに焦点を絞って遊びやゲームを我慢して勉強に取り組む。点数が悪かったら、原因を追究して次回のテストまでに改善する。時間が足りないなら、勉強の効率を上げる工夫をする。それはずっと行われてきたことで、自分の「好き/嫌い」は二の次です。

 別に、いい内申を取っていい大学に行こうとか、そして「勝ち組」になろう!なんて言う話ではありません。

 大人の仕事は「好き/嫌い」だけではやっていけない。そして好きな仕事の裏にも、必ず辛いことがある。嫌な作業が1つはある。会社に入れば苦手な人もいる。それを乗り切って、お金を稼いで初めてまともな社会人として認められる。そのトレーニングとして「勉強」があり、「定期テスト」や「受験」がある。心を育てる教育、ももちろん大切。だからと言って「子どもがイヤがりそうなことを、先回りして柔らかくして与える」だけでは、社会に放り出された時に対応できない人間になってしまいます。

 
 塾でも定期テスト対策をやりますが、プリントを大量に与え予想問題をやらせて取らせた高得点では意味が無い。「先生、この間の予想問題あってへんかったで!ひどい!」なんて子どもにグチを言われているうちは、ダメです。

 子どもが「テスト勉強は自分でやるから休んでいい?」と言ってくるぐらいで、ちょうどいい。塾としては「テスト対策にこない生徒はその月は半額」という制度を作ってもいいほどだ、と思っていました。

 また、いつか定期テストの勉強の仕方を教えて4回分のテスト(2学期分)をこなして自立させ、卒業させる塾をやりたいなぁと思っていました。長期の塾では、お金の無い家では通わせることのできない価格になってしまう。半年の集中コースで、分割払いも可能にすれば学校から取りこぼされた生徒にも、対応できる(キャッシュフローはよくないですが)。

 ですから、今回の大阪府教育委員会の方針には大賛成です。定期テストで点数が取れない生徒には、税金で「勉強の仕方」を教えてやってほしい。ぜひ中学にも広まってほしいと思っています。早ければ早いほど、効果が上がるはずです。


 ※朝日新聞の大阪版には「予備校講師ら外部から講師を招く場合は、その費用を補助」とありました。予備校講師(現代文)経験もあるので、ぜひ呼んでほしいものです。メール

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〔本日の会話〕

私 「明治時代からは『俳句』って言うけれど、それまでは『俳諧』と呼んでいました」

生徒1「『ハイカイ』!?」
生徒2「ウロウロする老人や!」

私 「君たちが言ってるのは『徘徊』(黒板に書く)。しょーもな。ちゃんと『俳諧』を覚えてや。それから松尾芭蕉みたいに、俳諧を読むのを仕事にしていた人を『俳人』と言います」

生徒3 「『ハイジン』やて!」
生徒4 「旅行なんかできへんやん!」

私 「…ひょっとしてアタマの中でこういう字書いてんのか?(『廃人』と書く)」

生徒たち (ひーひー笑いながらうなずく)

 確かに、松尾芭蕉は徘徊して俳諧を作る老人だが「廃人」はヒド過ぎる。 

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2005.10.31

大人と子どもを教える理由。

 私は国語を塾で教えていますが、ビジネスセミナーの講師も行っています。その中で、いつも思うことがあります。たとえば「ビジネスアイデア発想法」や「ビジネスブログ活用法」などのセミナーを開くと、自腹で参加してくれているわけですから、会場がすでに「期待感」に満ちています。「さー元は取らせてくれるんだろうな」という貪欲なまでの意欲を感じる。

 

 ところが銀行系や大手セミナー会社で開くセミナーは法人が契約しているため、上司が「あいつを行かせよう」と決めて、部下を送り込んできます。しかも朝から夕方までの1日ぎっしりセミナーのことが多いので「会場をあっためる」のに時間がかかります。会場に入るとOLやサラリーマンが「あーあ今日は気の重い研修だよ」と友人にメールでも打っているのか、携帯を眺めて下を向いています。

 

 しかし、私にとっては慣れた空気です。子どもはほとんど「あーあ今日は1日冬休み講習だよ…」とイヤイヤ塾に来ます。そのダレた空気を引き締め、やる気にさせ、「勉強は楽しい!」と思わせて帰らせる。これが私の10年やってきた仕事です。そのノウハウを応用してモチベーションを上げるのですが、正直なところ大人相手の方が子どもより難しい。それぞれ今まで生きてきたプライドや「やり方」がある程度は確立しているからです。

 

 ですから、ビジネスセミナーでは出席者からも学ぶ仕組みを取り入れます。相互に意見交換をしたり、生の経験を聞いたり。そうすることで各自が自分の経験の上に、私の講座内容を重ねて応用してもらいたいと思っています。初心者と、基礎知識や経験がある相手への授業は全く異なるのです。

 

 ただ露骨に揚げ足取りしかしない人や、場の空気が読めずにディスカッションをぶち壊す人もいます。子どもであれば個人指導で修正できますが、「素直になれない」大人の教育ほど手強いものはありません。子どもは親を見て育ちます。「素直に学ぶ」親の子は同じ性質を持つことが多い。親が塾の方針に難癖をつけるのを聴いている子どもは、まず「教師や塾を疑う」ところからスタートしてしまいます。これでは普通の子より吸収が定着が遅くなる。そして親は結果が出ないのに苛立ち、ますます塾や教師の欠点をあげつらう。子どもはそれを聴いて、自分の努力や理解の不足を教師のせいにする…という悪循環に陥るのです。

 

 わからなければわかるまで質問すればいい。
 不安なら、疑問をぶつければいい。
 ただ素直になるだけでいい。

 

 何かを学ぶ時、私自身も忘れないでいようと思う態度です。そして相手を素直にさせるのも、教師の能力の一つだと考えます。そのために私は対象を問わず「教える機会」に全力投球しています。

 

 たまに私が教育だけでなくビジネスセミナーをやっていることを批判的に言う人(往々にして教師です)がいるのですが、私が教えることは誰にでも同じです。
 頭を使え、自分の力を信じろ、タフに生きろ、と。

 

 ただその手段が受験国語であったりビジネスのノウハウだったりするだけです。「あなたは教育だけをやっていないから、教育を語るのに価しない」と言われても、私は今のスタンスを崩すつもりはありません。学校を出た先にあるのは社会です。そこで必要なのは、やりがいのある仕事を見つけて食べていく力。そして会社やビジネスの世界で成果を出す力です。

 

 人は生きる力を得るために、一生学び続けるものだと思っています。その時「学び方」と「諦めないタフさ」を身につけている人が強い。
 国語力はその根っこになります。

 

 正直な話、国語力の無い大人はなかなか結果を出しにくいので、子どものうちの教育は大事だと痛感することが多いです。ビジネスマン向けの速読講座は大入りらしいですが、私はじっくり読解力と論理力を鍛える大人向けの講座の必要性を感じます。論説文+記述問題を解く訓練をすることで、新聞やビジネス書はサラサラと読めるようになるはずです。

 

 「教育」「学び」は子どもだけの特権ではないのです。
 大人こそ、楽しみましょう!
 

 

 

 

 【最新のビジネスセミナー】

 

 11/4(金) 豊中商工会議所
 「女性社員サバイバル術」 ~会社が手放したくない人材になる! 起業ブームにあえて「待った!」―女性社員が積極的に会社で生き残るスキルや発想法を1日で学びます。社員のモチベーションアップにも活用できる、女性限定のセミナーです。

 

※私自身が企業の中で管理職になり、退職後に起業して「あー会社辞めるんじゃなかった」と後悔した経験と「会社で学んだスキル」の貴重さを実感して企画したセミナーです。大人も子どもも含めて「職育」も最近テーマにしています。

 

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〔本日の会話〕

 

用言の活用表を埋めている生徒の答え。

 

私「『見る』を命令形で言うとどうなる?」
生徒「…『見て』
私「うーむ、確かにカワイく命令するとそうなるかも。『これ見て♪』って感じやな。残念ながら、もう少しオッさんぽい言い方やねん」
生徒「答えは?」
私「『見ろ』と『見よ』の2つやね」
生徒「うわっ、ジジくさ

 

 

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